Amie Thomasson「現象学と日常言語の哲学における概念分析」

Thomassonがこんな論文を書いていたので読んでみた。
http://philpapers.org/rec/THOCAI
Thomasson, Amie L. (2007). 15 Conceptual analysis in phenomenology and ordinary language philosophy. In Micahel Beaney (ed.), The Analytic Turn. Routledge. 270.
http://www.amiethomasson.org/papers%20to%20link/Conceptual%20Analysis%20in%20Phenomenology%20and%20Ordinary%20Language%20Philosophy.doc
以下の本に入っているらしい。
The Analytic Turn: Analysis in Early Analytic Philosophy and Phenomenology (Routledge Studies in Twentieth-Century Philosophy)The Analytic Turn: Analysis in Early Analytic Philosophy and Phenomenology (Routledge Studies in Twentieth-Century Philosophy)


目次

  • 1. 心と言語における意味の分析
  • 2. プラトニズムと冗語法
  • 3. 本質の研究と概念分析
  • 4. 概念分析と存在論

Thomassonによれば、現象学と二十世紀前半の分析哲学(主に日常言語学派)は、ともに、経験科学とは違う哲学の方法論を、心理主義に抵抗しつつ追い求めたという点でよく似ている。


この論文の二つの目的

日常言語学派は方法論をほとんど扱っていないが、フッサールは執拗に方法論を追い求めたので参考になる。

現象学は心理状態の意味、分析哲学は言語の意味を扱うのでは?

→違う。それは表層的な違いで、両者とも言語から出発し、事柄そのものを対象にする。意味あるいは概念は、両者にとっての関心だった。

フッサールは本質の探求がしたかったので日常言語学派とは違うのでは?

フッサールの本質の探求は、想像を用いた分析と見なせる。個物の与えられ方から出発し、それを想像の中で変形し、何かがある種に属するために必要な条件を探し求める。
これは想像的なケースを扱う日常言語学派の方法と共通する。
また、フッサールの方法は、アプリオリな知識を与えるが、これは現実の経験的事実に依存しない知識の獲得という意味で、自然科学からは区別される。

本質と概念に何の関係があるのか?

本質についての真理は、言い方を変えるだけで概念についての真理に書き直せる。
フッサール流の概念分析のモデルは以下のようなもの

  • ある対象の経験からはじめる。
  • 対象を単にタイプTの例と見なす。
  • 想像により変形し、どういう時にTに属する対象が与えられているのかを問う。
  • こうしてT一般についての真理から、本質Tについての真理が得られる。
  • 本質Tについての真理は、概念の語法を使って書き直すことで、Tの概念についての真理に変形できる。

この分析には概念を適切に適用できる能力が必要とされる。概念分析は、ある概念が様々な状況で適用できるかできないかを決めるアプリオリな条件の確定と見なせる。また、こうした発見は必要十分条件の形を取るとはかぎらない。

概念分析は存在論である

上記のような研究は、何が存在するかではなく、一般的な種に関わる存在論と見なせる。インガルデンの文学作品の存在論やストローソンの記述的形而上学はこの例にあたる。また、ここでThomassonは現代の社会的存在論をあげているが、当然念頭に置いているのは自分自身の仕事(人工物やフィクショナルキャラクターの存在論)だろう。