Daniel Z. Korman「抽象的人工物説に反対する曖昧性からの議論」

http://philpapers.org/rec/KORTVA
Korman, Daniel Z. (2014). The vagueness argument against abstract artifacts. Philosophical Studies 167 (1):57-71.

サイダーの曖昧性からの議論はオーバーキルで、抽象的人工物説も殺してしまうという批判。曖昧性からの議論を認めると抽象的人工物説も認められなくなるし、おおよそものが新しく誕生する可能性を認められなくなるので、曖昧性からの議論はまちがっているだろうという話をしている。
抽象的人工物説と曖昧性からの議論を知らないと読みづらい。

  • 1. 創造説に反対する曖昧性からの議論
    • 1.1 A3の擁護
    • 1.2 A4の擁護
  • 2. 普遍説に賛成する曖昧性からの議論
  • 3. 創造説に反対する曖昧性からの議論に反論する
  • 4. 生成の可能性について
  • 5. 充実した創造説?
  • 6. 結論

抽象的人工物説というのは、芸術作品とかフィクショナルキャラクターとか法律とか言葉(語)とかソフトウェアとかその他もろもろは、人間が作った抽象的な人工物だという立場だ。永久かつ必然的に存在するプラトニックな抽象物と違い、これらの抽象物は空間的な位置は持たないが、作られた時点から存在しはじめる偶然的な存在者だとされている。最近盛んに議論されているし、個人的には正しい立場だと思っている。

曖昧性からの議論というのは四次元主義の哲学でサイダーが論じているものだ。
四次元主義の哲学―持続と時間の存在論 (現代哲学への招待―Great Works)四次元主義の哲学―持続と時間の存在論 (現代哲学への招待―Great Works)

大変なので詳しく紹介はしない。大雑把に言うと、人とかテーブルとかエッフェル塔とか、中サイズのものは曖昧な存在者で、いつから存在しはじめ、いつから存在しなくなるのかが曖昧だ。しかし存在するかどうか曖昧なものなど認めたくないので、この曖昧さを許容するために、「時空間を任意の形に切り分けたものはすべて存在する」ということを認めようという感じの議論だ。


著者によればこの議論は、抽象的人工物説に対する反論にもなってしまう。新語なども、いつから存在しはじめるかが曖昧だからだ。著者の議論の要点は、曖昧性からの議論を受け入れ、かつ抽象的人工物説を認める方法はないという部分にある。それどころか基本的に誕生の瞬間が曖昧でないものなどないので、曖昧性の議論が正しいとすると、ものが新しく存在しはじめるということを認められなくなる。
さらに曖昧性からの議論に対する反論として、連続的創造みたいなものを提案している。例えばリチャード・ドーキンスが「ミーム」という語を作った時、その誕生の瞬間は曖昧だが、その曖昧な期間において、オーバーラップしたすごくたくさんの「ミーム」が創造されたと考えるみたいな反論だった。