John Broome「規範的要請」

  • John Broome (1999). Normative Requirements. Ratio 12 (4):398–419.

http://users.ox.ac.uk/~sfop0060/pdf/normative%20requirements.pdf


「なぜ合理的であらねばならないのか Why be rational?」という問題に関心があります。「なぜ道徳的であらねばならないのか Why be moral?」の方が注目される傾向にありますが、個人的に重要なのはこちらです。なぜわれわれは不幸と信じるものを避けなければならないのか?なぜわれわれは幸福と信じるものをめざさなければならないのか?自分にとってもっともよい選択肢と信じるものを選ぶべきなのはなぜか?*1
「なぜ?」と問われても答えようがないかもしれませんが、もし答えがでないならばでないなりに、なぜそうなのかということが気になっています。
というわけで、理由の規範性や合理性にかかわる文献を読んだりしているのですが、この論文はためになりました。


Broomeによれば、べし[oughts]や理由[reason]などといった規範にくわえ、それらと混同されがちな規範として規範的要請[normative requirements]というものがあります。Broomeによれば、理由と規範的要請を混同することで、これまでさまざまな混乱がおきてきたということです。
Broomeのいう規範的要請とは、ひとくちにいえば信念や欲求や意図などの態度の間に求められる合理的な一貫性のことです。

  • 「きみが明日早起きすべきだと思っているなら、早起きすべきだ」
  • 「大学に合格したいと思っており、大学に合格するためには勉強が必要だと思っているなら、勉強すべきだ」


上の2つのような例に見られる、「べし」は通常の理由やべしとは少し異なっています。ここで言われていることは、こうした方がよりよい選択肢だとか、倫理的に正しいということではなく、ここで「なら」の前にあらわれるような信念、欲求を持っている場合、こうしないとおかしいということです。「早起きすることがよい選択肢だ」と言っているわけでも、「早起きすることが道徳的に正しい」と言っているわけでもありません。そう思うなら、そうしないとおかしいと言っているだけです。
Broomeはこうした規範的要請を他の規範と分けるテストとして、detach(分離?)が可能であるかという項目をあげています。上記のような例において、仮に前半が真であったとしても、「きみは早起きすべきだ」「きみは勉強すべきだ」ということは導けないというのです(Broomeによれば、文法的には「べし」は条件文の後半についているが、意味上は「べし」はあくまでも条件文全体にかかっている)。個人的にはまだここがよく飲み込めていないのですが、明らかに偽な信念を考えると、少し納得がいくような気もします。

  • 「きみが肉を生のまま食べることが健康によいと信じており、そうすべきだと考えるなら、肉を生のまま食べるべきだ」


仮に実際に「きみ」が上記のような信念を持っているとしても(条件文の前半が真だとしても)、条件文の前半を消去して「きみは肉を生のまま食べるべきだ」とは言えないように思われます。
一方、そうする方が一貫した態度だという意味であれば、この条件文全体は正しいように思われます。



また、2つの規範がコンフリクトしたときの対処も、理由の場合と、規範的要請の場合では違ってきます。

  • 恋人に会いたいので、外に出る理由がある。
  • 雨が降っているなか外出するのがいやなので、外に出ない理由がある。

上記のように2つの理由が対立した場合、行為者がすべきことは、この2つの欲求のうち、より強い欲求を選ぶことです。単により強い理由を選択すればよいだけであって、それ以上の信念・欲求の調整は必要ありません。


ところが、

  • 哺乳類は卵生ではないと思っているなら、カモノハシは哺乳類ではないと判断すべきだ。
  • 哺乳類は母乳で子どもを育てると思っているなら、カモノハシは哺乳類であると判断すべきだ。

この例のように、2つの規範的要請が対立する場合、それが意味することは行為者の欲求・信念に矛盾が存在するということであり、行為者は一方の信念を捨てなければなりません。規範的要請は、ある意味では理由より強い規範性を持っているのです。



規範的要請というものの存在を指摘し、その特徴や他の規範との違いを分析しただけのシンプルな論文ですが、「合理性はわれわれに何を要求しているのか」などの問題を考えるにあたって、わりと重要なことを言っているように思われます。
次に気になるのは、こうした規範的要請と、理由などの概念との関係でしょう。Broomeの論文以後、いろいろ論争が起きているらしいので、そのあたりはもう少し追ってみたいところです。

*1:Why be rational?という呼び方自体あんまり定着していないし、他の意味で使われることもありますが、とりあえずこのような意味で使います。