スタンフォード哲学事典「戦争」

なんとなく勉強で読んでみた。原文は最後にリーディングガイドもついてます。
http://plato.stanford.edu/entries/war/


最初に戦争の定義が軽く議論される。
ここでは「政治的共同体の間の顕在的、意図的、広範囲の武力衝突」というものが採用される。ひとつひとつの用語はそれぞれ意味が込められており、潜在的危機ではなく、顕在化した衝突でなければならない、兵士が戦争に行くことを意図して行くのでなければならないなどなど。また、戦争は、ある領域での権力、富や資源、理想、メンバーシップ、法、教育、境界、税などを決定する暴力的手段である。
これはクラウゼヴィツの有名な定義「別の手段による政策の継続」にも沿ったものでもある。戦争は政策、ひいては統治に関わるものである。


戦争に関わる道徳理論は、次の三つの理論が主である。

  • 正戦論
  • リアリズム
  • 平和主義

正戦論just war theoryは、「時に道徳的に正しい戦争もある」という主張をする。リアリズムは戦争と道徳は関係なく、力による争いがあるだけだという立場。一方平和主義によれば、戦争を道徳的に評価することはできるが、すべての戦争は道徳的に間違ったものである。

正戦論

正戦論は「道徳的に正しい戦争」の存在を認め、何が正しい戦争であるかを議論する。トマス・アキナス、グロティウスなどからの長い伝統があるが、最近の人ではMichael Walzerが有名らしい。
戦争に関わる道徳は以下の三つに分けられる。それぞれ戦争の開始、戦争の途中、戦争の終了に関わる道徳である。

  • 戦前の正jus ad bellum
  • 戦中の正jus in bello
  • 戦後の正jus post bellum
戦前の正

戦争開始時の道徳は以下の六つ。

  • 1. 大義名分Just cause

これが一番重要な要件である。
典型的には侵略に対する抵抗などが、戦争に訴える際の正しい原因とされる。政府には政治主権や領土保全の権利があり、これを侵害することは許されない。ただし政府がこうした権利を持つためには、属する人々の権利を守る「正統な政府」でなければならない。
一方侵略を避けるために先に戦争を開始することが許されるかについては議論がある。

  • 2. 正しい意図

1の理由が実際の動機でもある。

  • 3. 適切な権威と公的宣言
  • 4. 最後の手段であるLast Resort
  • 5. 成功の確率がある
  • 6. 相応性

それに見合う普遍的善がえられる。

戦中の正
  • 武器に関する国際法の遵守
  • 非戦闘員の保護
  • 相応性(過剰な手段を使わない)
  • 捕虜の扱い
  • 邪悪な手段(虐殺など)を用いない
  • 報復しない

その他、戦闘拒否は許されるかなど。

戦後の正

近年では、戦後の強制的な民主化など、強制的な体制変更の是非が議論されている。

リアリズム

リアリズムは政治科学者に人気がある立場。ここでは最近の支持者として多くの政治科学者や政治家、例えばキッシンジャーの名前などがあげられている。
リアリズムは戦争に道徳を持ち込むことを拒否する。リアリズムによれば、力と安全保障が重要であり、国家は自己利益の最大化につとめるべきであり、国際政治のアリーナはアナーキーであり、力への意志が優先される。恋と戦争ではあらゆる手段が許される。
ただし記述的リアリズムと、指令的リアリズムをわけるべきである。記述的リアリズムは、事実の問題として、国家は道徳的にふるまえない(ふるまう余裕がない)という立場のこと。これに対しては、人々の集合体である国家は結局道徳を無視できないのではないかという議論がある。
一方指令的リアリズムは、国家は自らの利益のために非道徳的にふるまうべきであるという立場。これに対しても、指令的リアリズムは正戦論と同じようなルールを認めるべきではないかという議論がある。その理由は正戦論とは違って、ルールが道徳的に正しいからではなく、そうしたルールを確立することで、結局は自らに利益をもたらすような均衡状態をつくれるためである。

平和主義

平和主義は、戦争が殺人、特に大量殺人を含むために、戦争は常に道徳的に間違っていると考える。最近の支持者として、Robert Holmesがあげられている。
平和主義に対する批判としてあげられるのは、楽観的すぎるというもの。平和主義は侵略に対し、非暴力的な市民的不服従などで対抗するというが、それは侵略者の良心をあてにすることになる。べきoughtはできるcanを含意するが、平和主義は不可能なことを要求していると。
より細かくわけると、平和主義は、戦争の害は常に利益を上回るという帰結主義的平和主義(CP)、戦争は道徳的義務を犯すがゆえに常に悪いという義務論的平和主義(DP)にわけられる。
帰結主義的平和主義の場合、侵略戦争に抵抗することで結果的に死者を減らせるといった批判には答えづらい。
一方義務論的平和主義から正戦論への批判は次のようなもの。無垢の市民を殺すことは道徳的に正当化できない。ところが歴史上ほとんどの戦争では無垢の市民が死んでいる。従って戦争は正当化できない。
正戦論者のWalzerはこれについて、以下のようなタブルエフェクト原理(DDE)を用いた反論をする。
意図的行為Tが、good/moral/justな結果Jと、bad/unmoral/unjustな結果Uをもたらすことが予期されるとき、次の条件が満たされれば行為Tは正当化される。

  • 他の状況ではTは正当化される
  • Jは意図的だがUは意図的ではない
  • UはJの手段ではない
  • Jの善はUの悪を上回る

ただしこれは決定的な反論とは言えず、平和主義と正戦論は、市民の命を守る義務について原理的に違う立場をとっている。

正しい戦争と不正な戦争

永遠平和のために (岩波文庫)

  • カント『永遠平和のために』

戦争論〈上〉 (岩波文庫)
戦争論〈下〉 (岩波文庫 白 115-3)

訳がでているようなのでつけておきます。
あと以下の本が気になったが、ちくま学芸文庫の『ハイデッガー『存在と時間』註解 』を書いてる人ですね。
War and Existence: A Philosophical Inquiry

  • Michael Gelven, War And Existence