Quentin Smith, Moral Realism and Infinite Spacetime Imply Moral Nihilism - PhilPapers
Smith, Quentin (2003). Moral Realism and Infinite Spacetime Imply Moral Nihilism. In Heather Dyke (ed.), Time and Ethics: Essays at the Intersection. Kluwer Academic Publishers 43--54.
- 序
- すべての経験的に可能な行為は道徳に無関係
- 時空間が無限の宇宙における、道徳的ニヒリズムのいくつかの帰結
- 人の死は生よりも価値がある
- 人生は無駄である
- 誰も生命の権利をもたない
- 人には内在的尊厳はない
- 宗教哲学における帰結
- 道徳的ニヒリズムを擁護する論証への反論
- ひとつめの反論
- ふたつめの反論
- みっつめの反論
- よっつめの反論
- ニヒリスト的生の生き方
この宇宙には無限の善があるので、われわれが何をしても何も変わらないし、道徳的に正しい行為も不正な行為もないという主張を擁護している。まず、著者は、どこかの科学記事で、最新の宇宙論では未来は無限らしいというのを見たらしく、以下の議論では未来が無限であることが前提になっている。
著者が擁護しているグローバルな道徳的実在論によれば、あらゆるものに価値がある。石にも山にも星にも空間にも価値がある。人間は、石や山や空間より価値があるかもしれないが、石や山や空間の価値は0ではない。「環境倫理が人間の倫理の拡張であるように、グローバルな道徳的実在論は環境倫理の拡張である」らしい。
一方、宇宙には無限の空間と無限の石や山があり、未来は無限であるので、宇宙にはアレフ0の価値がある。
著者によれば、ある行為が道徳的に義務的であるのは、その遂行が正の価値を増やすか、正の価値の減少をさまたげるときである。ところが、残念ながらこの宇宙にはすでに無限の価値があり、今後永久に無限の価値がありつづけるので、そのような行為は存在しない。
私が人助けをしたとしよう。私の人助けによってもたらされる価値を10とすると、アレフ0+10はアレフ0なので、私の行為は1ミリも宇宙を改善しない。人助けしてもしなくても何も変わらない。反対に、暴力や殺人などによっても、宇宙に含まれる価値の総量はまったく変化しない。
この立場では、道徳的に義務的な行為は存在しないので、あらゆる行為は道徳的に許される。さらに、すべての人の人生は無駄であり、誰も生命の権利をもたず、誰も人格的尊厳をもたないなどの帰結がある。また、著者によれば、道徳的ニヒリズムが真であることから、神が存在しないことが帰結するらしい。
一応、最後に、ではどうやって生きればいいのかという話が(数行分)出てくるのだが、普段は真実は忘れて感情のままに生き、たまに冷静に反省したときだけ真実を思い出せばいいのではないかということだった。