Philosophical Perspectives on Depiction (Mind Association Occasional)
描写depictionの哲学についてのアンソロジー。とりあえずイントロダクションだけ。
- 1. 描写のプロジェクト
- 1.1 アプローチの用語法
- 1.2 さらなる制限ー適切さの基準standard of correctness
- 1.3 適切さの基準の認識的含意
- 1.4 適切さの基準の美的含意
- 2. 図像の経験
- 2.1 内に見ることseeing-inの本質
- 2.2 内に見ることの射程
- 2.3 屈折inflectionとミメーシスのパズル
- 3. 図像知覚ー哲学的含意
- 3.1 図像知覚のメカニズム
- 3.2 図像知覚の内容
- 3.3 図像知覚の機能
- 結論
描写depictionの問題は、図像一般に関わる問題であり、描写の哲学を美学の下位分野にするのは、言語哲学を文学の哲学の下位分野にするようなものだと威勢がいい。
このイントロダクションでは、描写の理論は以下の四つに分類される。
- 構造説
- 現象説
- 認知説
- 類似性説
構造説はグッドマンの理論を継承したもので、言語などと比較しつつ、描写が表象としてどんな構造的特徴を持つかを議論する。構造的特徴としてあげられるのは、稠密性や相対的充満など。最近では、Kulvickiがこのアプローチでいろいろやっている。
現象説は、図像を見る経験の特殊性に訴える立場。ウォルハイムなど。
認知説は、サブパーソナルな知覚メカニズムに訴える立場で、支持者はLopesとSchier。
類似性説は、「絵は対象に似ているから対象を表象できる」という立場で、もっとも素朴な説明として知られるもの。ただし何らかの類似性に訴える立場は最近でも支持者がいるらしく、ここではHymanとAbellの名前があがっている。
いずれにせよ、多くの説は描き手の意図のような、さらなる「適切さの基準」に訴える必要がある。一方、描写と意図のかかわりを扱うためには、絵画と写真の違いなどもまた説明されねばならない。この本ではAbellが写真と絵画の認識論的な違いを論じている。
また、図像を見る体験はしばしば二層であると言われる。例えば、しばしばわれわれはある絵が鳥の絵であることを経験すると同時に、それが絵の具であることも経験しているなど、図像内容についての経験と、素材・デザインについての経験の両方を持つ。こうした図像を見ることの二層性について、両者は分離した二つの要素なのか、統合された一つの要素なのかなどが議論されている。
この二層性の問題は、ミメーシスのパズル(美しくない光景を描いた絵がなぜ美しいのか)にも関わる。図像内容の経験を、図像デザインの経験から切り離す論者は、図像に描かれた光景が(実際の光景とは違って)独自の美的要素を持つのはなぜなのかを説明しなければならない。
さらに、図像知覚のメカニズムや機能を巡る議論もいろいろあるようだ。この本ではNanayが、二層性の知覚において、見る人は図像の内容とデザインの両者に注意を向けるわけではないが、図像の内容とデザインのレベルの両方を知覚的に表象するという議論をしているらしい。
本全体の目次は以下
- 1: John Kulvicki: Pictorial Diversity
- 2: Dominic McIver Lopes: Picture This: Demonstrative Reference Through Pictures
- 3: Catharine Abell: The Epistemic Value of Photographs
- 4: John Dilworth: Depictive Seeing and Double Content
- 5: Katerina Bantinaki: Pictorial Perception as Twofold Experience
- 6: Robert Hopkins: Inflected Pictorial Experience: Its Treatment and Significance
- 7: Bence Nanay: Inflected and Uninflected Experience of Pictures
- 8: John H. Brown: Seeing Things in Pictures