Picture, Image and Experience: A Philosophical Inquiry
http://philpapers.org/rec/HOPPIA-2
- 1. 問題
- 2. 新しいはじまり
- 3. 分離: ひとつの困難を克服
- 4. 図像を解釈する
- 5. 分離と解釈
- 6. 分離と未完の説明
- 7. 多様性を受け入れる: 類似、構造、遠近法で描くこと
以下のような、棒人間の絵を考えてみよう。
http://xkcd.com/1006/
これはとても不確定な人間の絵だ。痩せているのか太っているのかもわからない。性別もよくわからない。
絵の内容が不確定だとすると、それを見る私たちの視覚経験の内容はどうだろうか。私たちは、絵の中に不確定なものを見ているのか?
線が不確定だから内容も不確定になるということはある。走り書きのラフスケッチなどの場合は、私たちは不確定なものを見るし、それによって絵の内容も不確定になる。
ところが棒人間の例はそうではない。棒人間はやせ細って見えるが、私たちはそれを不確定な人間の絵として見る。この場合は視覚経験の内容(seeing-in content)と、図像の内容(pictorial content)が異なっている。
視覚経験の内容と図像の内容がともに不確定である場合を融和(Marriage)アプローチ、視覚経験が確定的で図像の内容が不確定である場合を分離(Separation)アプローチと呼ぼう。図像はこの両者をともに利用する。
しかし、視覚経験の内容と図像の内容が異なることがあるとすれば、視覚経験の内容の内、どの部分を無視し、どの部分を採用するかというのを見る人はどうやって決めるのか?
Hopkinsは3つのリソースがあると言う。
- 世界にあるものについての知識
多くのものには色がある、ピンク色の象はいない、など。
- 描かれるものについての知識
基本的には世界の中にあるものが描かれる。
- 制作手段についての知識
制作者の意図や、写真、エッチングなど手段についての知識。
こういう知識を使って、「体は線のようだけど、実際はそうではない」とか「足から下は描かれていないが、描かれていないだけだろう」ということを解釈する。