Carrie Ichikawa Jenkins「様相的モノガミー」

Carrie Ichikawa Jenkinsは、現在ロマンティックラブの形而上学に取り組んでいるらしいです。
サイトができていたので見てみました。これはおもしろそうです。
http://www.themetaphysicsoflove.com/


twitterアカウントとブログもできています。
https://twitter.com/MetaLoveProject
http://www.themetaphysicsoflove.com/blog/


ついでに、サイトからリンクされていた以下の記事「様相的モノガミー」を読んだので紹介します。
http://politicalphilosopher.net/2014/04/25/featured-philosop-her-carrie-ichikawa-jenkins/


モノガミーは、二者的dyadicで、排他的exclusiveな愛の関係を指す。
Jenkinsは以下の2つを区別する。この記事の主題は様相的モノガミーである。

道徳的モノガミー
道徳的に許容される愛の関係はモノガミーなものだけである。
様相的モノガミー
形而上学的に可能な愛の関係はモノガミーなものだけである。


様相的モノガミーはロマンティックラブについての議論で暗黙の内に前提されている。しばしば様相的モノガミーを前提にした愛の定義がなされてきた。
Jenkinsは多くの哲学者によるロマンティックラブの定義が、二者関係に限定されていることを取り上げている。また、多くの思考実験や議論が二者関係を前提にしている。
様相的モノガミーを前提している者たちを暗黙的に動機づけているのは、道徳的モノガミーかもしれない。しかし道徳的モノガミーから様相的モノガミーをただちに推論できるわけではない。殺人が道徳的に悪かったとしても、殺人は可能である。
Jenkinsは様相的モノガミーが誤っているという3つの議論をあげている。
1.モノガミー的でない愛の関係にあると考える現実の人々がいる。この人たちが誤っているか嘘をついているのでないかぎり、様相的モノガミーは偽である。
2.ロマンティックラブ以外の愛からのアナロジー。複数の二者的友愛や、三者的な友愛は可能である。複数の子どもや複数の親を愛することは可能である。このアナロジーに反論するとしても、様相的モノガミーから独立の議論が必要である。
3. 様相的モノガミーは強い主張である。すべての可能世界のすべての愛の関係はモノガミーなものであるという二つの全称量化子を持つ。デフォルトではこの否定の方がもっともらしい。様相的モノガミーを受け入れるには実質的な議論が必要である。


一方、様相的モノガミーを擁護する議論はさしあたり、直観的である、定義によって真である、概念的真理であるというくらいしか思いつかない。
しかし「直観」に訴える主張は、論者の常識を、定義の問題や概念的真理と取り違える危険がある。
とりわけロマンティックラブに関しては、モノガミーを当然とする文化的に支配的なパラダイムによって、こうした誤解が起きやすい。このパラダイムはあまりにも深く浸透しているので、人が最初に「反直観的」と思うのはむしろ予期されるべきことである。
またロマンティックラブの場合、モノガミーは置いたとしても、形而上学的可能性や概念の問題として理解されるべきではない支配的パラダイムがある。ヘテロ性愛や、ロマンティックな態度、行動に関するジェンダーステレオタイプは明らかにそうだろう。
様相的モノガミーに反対する議論の強さと、「直観」が容易に説明されることを考えると、ロマティックモノガミーは、単に文化的に支配的なパラダイムとして理解されるべきである。形而上学的に重要なものとして過大評価すべきではない。