http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/handle/11094/6562
サーベイ的な内容だけど、これはなかなかよかった。哲学論文って、なぜこれが哲学の問題になるかをそのつど示さなければならないところがあるが、その部分が非常にスムーズだった。文章がとても読みやすいのだが、おそらく読者どういう前提を持っていて、どう説明すればわかりやすいのかをよく考えているのだろう。
人はいつから存在しはじめ、いつ存在しなくなるのか。中絶や脳死の問題を考えるとき、こうした問いは重要である。
こうした問いについて、これは生物学的・医学的な問題であり、科学が決定することだと考える人たちがいる。
一方で、こうした問題に客観的な答えはなく、私たちがどう考えるかの問題にすぎないと言う人たちがいる。
この二つの考えは相容れない。しかしどうすればこの対立に決着をつけられるだろうか。それを問うためには、それぞれのよって立つ前提を知らねばならない。
この論文では、人の生死の条件を科学的に決定できるために、どういう形而上学的前提が必要であるかを問い、この対立を考える手がかりを与える。
ひとつめ。人の生死を客観的に問うことができるならば、人は心から独立した対象、つまり実体でなければならない。例えば、実体として存在するのは、それ以上分割できないアトムだけであると考えるとしよう。そうなると、そもそも人などという実体は存在せず、残るのは私たちが何を「人」と呼ぶかという問題だけである。人の生死が客観的な問題であるためには、人というものが、心から独立に存在するのでなければならない。
ふたつめ。人が実体であるとしても、人の存続条件が観察可能なものでなければ、観察によって人の生死を知ることはできない。この論文では、人の存続条件についていくつかの説を紹介している。もし万が一、魂が入ったときに人が存在しはじめ、魂が抜けたときに死ぬみたいな感じだとすると、困ったことになる。