Jaegwon Kim「説明的知識と形而上学的依存」

説明と理解について勉強するコーナー。これは比較的わかりやすかった。

http://philpapers.org/rec/KIMEKA
Kim, Jaegwon (1994). Explanatory knowledge and metaphysical dependence. Philosophical Issues 5:51-69.

ある出来事eが起きた時、説明はそれがなぜ起きたかを理解可能にする。


説明が与えるものは通常の知識ではない。説明は理解や説明的知識(なぜについての知識)を与える。
ところが、説明に関する哲学の文献では、説明についての認識論の問題はあまり扱われてこなかった。説明のモデルを与える者はいるが、それがどのような認識に結びつくのかはよくわからない。


キムは以下の二つの問いをかかげている。

認識論的問い
pについての説明を持つ時、われわれが知るものは何なのか。
形而上学的問い
説明を基礎付ける出来事同士の客観的な関係は何か?

説明に関する実在論は、説明に対応する出来事同士のリアルな関係が存在することを認める。説明は、出来事同士の客観的関係をトラックしなければならない。
一方、説明内在主義はそのような客観的関係の存在を否定する。説明内在主義者は、言語的なモデルを立てるだけで、形而上学的な問いに対しては、「そんなものは無い」と答える。


代表的な説明のモデルは因果モデルだ。
ルイスなどの立場によれば、説明は因果関係についての情報を与える。この立場によれば、形而上学的問いの答えは、「因果関係」であり、説明は因果関係をトラックしなければならない。認識論的問いの答えは、「因果関係についての情報」ということになる。
しかしこの立場だと、説明が与えるものは因果関係に関する命題的知識にすぎない。この場合、説明がなぜ理解を与えるかはよくわからない。


一方、FriedmanとKitcherは統一性と単純さに訴える説明のモデルを作っている。この立場によれば、説明は多様な事象を単純な法則によって統合する。この立場だと、説明がなぜ理解をもたらすかはわかりやすい(と少なくとも主張されている。キムは疑問視しているが)。


Friedmanらの統一性に訴える説明のモデルは言語的なモデルだが、キムはこれに対応する実在論的なモデルを提案している。この立場によれば、説明は事象の間の形而上学的な依存関係をトラックしなければならない。依存関係は、世界の中の統一性や単純な法則に対応している。


しかし、そもそもなぜ単純さが理解をもたらすのか。単純なものが常に理解しやすいわけでもない。理解についての認識論をなんとかしないと、この問題はうまく扱えないですねとキムは問題提起している。