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無時制の理由

Mark Vorobej (1988). Timeless Reasons. Philosophical Studies 53 (3):461 - 471.
http://philpapers.org/rec/VORTR


これはおもしろいし、短かいし、よい論文。


無時制の理由[timeless reason]と呼ばれているのは、わたしが時間によらずに持っているような理由のことである。たとえば、わたしには明日の昼食を取る理由がある。このとき、理由のターゲットとなっている時点は「明日の昼」である。では、この「わたしには明日の昼食を取る理由がある」という、理由の存在そのものは、いつ生じるのだろう。理由の存在自体も、明日の昼にならないと生じないのだろうか。


TN(時間中立説)の支持者によれば、わたしがこの理由を「つねに」持つ。すべての理由は、時制によらずに有効であるという意味で、無時制的なのである。


元々ネーゲルが『利他主義の可能性』のなかで時間中立説を擁護する議論をしているらしいのだが、パーフィットは『理由と人格』でこれを批判し、時間中立説を信じがたいとして退けている。Vorobejのこの論文は、パーフィットによる批判に反論し、時間中立説を擁護するものである。


パーフィットの議論はこんな感じである。
太郎は、現在無軌道な若者であり、セックスとリスクとロックンロールとドラッグに価値を見出している。ところが太郎は、自分が十年後、安定と貯金とマイホームに価値を見出すことになることを、十分な根拠を持って信じている。しかし太郎は現在、それらに何の価値も見出していない。自分がそれらのくだらないものをいずれありがたがるだろうと、正しく予測しているだけである。


時間中立説が正しければ、太郎は、現在においても、自分にとって何の価値もない、安定や貯金やマイホームのために(将来のマイホームにつながるように)行為する理由があることになる。しかしこれは奇妙である。現在何の価値も見出せないもののために、行為する理由はない。
一般的にいえば、時間中立説の帰結として、以下のWが導かれる

W: 現在の自分には無価値であるが、未来の自分には価値のある対象に、現在
においても働きかける理由がある。

しかし、Wは奇妙であると言うのである。
なお、Wは未来の自分にとって価値のある対象を今すぐ求める理由があるという意味ではない。未来の自分がそれをえられるように今から働きかけておく理由があるという意味である。Vorobejの言葉づかいでは、未来にxする[do x]理由があるとき、現在xを推奨する[promote x]理由がある。


ところがVorobejによれば、これはまちがっている。Wは時間中立説からは帰結しない。そのことを確認しよう。
まず、以下は時間中立説の中心的な主張である。

(1)未来にFする理由があるならば、現在Fに働きかける理由がある

次に、その認識論バージョンも、認められる。

(2)未来にFする理由があると信じることが合理的であるならば、現在Fに働き
かける理由があると信じることが合理的である


一見するとこの(2)から、パーフィットの言うように、Wが導かれるように思われる。
太郎は、現在自分にとって無価値な対象を、将来自分が高く評価するようになるだろうと、十分な根拠を持って予測している。このとき、(2)の前件が満たされるため、(2)の適用によって、太郎は、自分が無価値と信じる行為を遂行する理由を持つのではないのだろうか。
ところが、Vorobejによれば、現在の太郎がFは無価値であると考えるとき、太郎は、「未来にFする理由がある」ことを信じていない。つまり(2)の前件は満たされていないのである。たとえば、太郎が、「自分は将来、貯金やマイホームといったくだらない対象を求めることになるだろう」と予測するとき、太郎は将来の自分にとってさえ、貯金やマイホームを確保することは行為の理由にならないと考えている。あるいはわたしが健康を無価値と見なすとき、わたしは、健康が、他人や未来の自分にとってさえ行為の理由を与えないと考えていることになる。


Vorobejは以下を前提しているらしい。

☆: xがFを無価値と見なすならば、xはFが行為の理由を与えないと信じている

☆が正しいのかどうか、わたしにはちょっとよくわからない。たとえば、「ウナギはわたしにとって無価値だが、きみがウナギを欲するならばきみには新宿に行く理由がある」といったことも認められてよいのではないだろうか。ただ、パーフィットがとっている批判的欲求充足説に従うならば、客観的に無価値なものは行為の理由を与えないということが認められるように思われる。
そうなると、そこから☆が派生して認められるかもしれない。


理由と人格―非人格性の倫理へ

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Possibility of Altruism

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