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Gareth Evans「時制論理はまちがいにもとづくのか」

time relativism

http://philpapers.org/rec/EVADTL
Evans, Gareth (1985). Does tense logic rest on a mistake? In Collected Papers: Gareth Evans. Oxford: Clarendon Press. 343-363.

有名なやつ。

時制論理のような内包論理は一般に「xにおいて真」といったインデックスつきの真理述語を使う。

任意の時点tにおいて、「雨が降っている」はt-において-真である iff tにおいて雨が降っている.

↑こういうやつ。時制論理なら「時点t-において-真」、様相論理なら「世界w-において-真」。あと「場所s-において-真」とかいろいろある。
エヴァンズはここで、時制論理の「時点t-において-真」には問題があるのではないかという話をしている。
「時点t-において-真」には3つの解釈があるが、それぞれ問題がある。

解釈1: 時点相対的な発話の真理

一番ラディカルな解釈。発話の真理と文タイプの真理を一致させ、両方とも変動させる。

(\forall S)(\forall u)(\forall t)[Of(S, u) \rightarrow (Correct-at-t(u)\Leftrightarrow True_t(S)]
すべての文タイプSとすべての発話uについて: uはSの発話であるならば(uがtに真 iff Sがtに真)


古典論理にならって文タイプSとその文の発話uの真理を同値にしてみる。これはとてもラディカルな立場なので、「雨が降っている」という文タイプの発話すべてに(時点相対的に)同じ真理値を割り当てる。とりあえず今雨が降っているとすると、過去現在未来すべての「雨が降っている」の発話は真である。雨が降っていないなら、過去現在未来すべての「雨が降っている」の発話は偽である。
このとてもラディカルな立場だと、発話の真理も文タイプの真理も全部一斉に真になったり偽になったりするし、まるで安定しない。
エバンズはここでおもしろいことを言っていて、発話の真理の評価は「一度切り」でなければならない。同じひとつの歴史的行為に対して、ある時は「正しい」ある時は「まちがっている」という評価をすることは意味をなさない。
また、意味の理論は話者が何を言うべきかのガイドになるものでなければならない。しかし、あるひとつの歴史的行為が、ある時は「正しい」ある時は「まちがっている」のであれば、話者はいったい何を言うべきなのか。おそらく妥当な答えは、話者は、発話の時点で正しいことを言うべきだということになるだろう。しかしそれならば、発話の評価は結局一度切りのものであって、すべての文タイプに同じ真理値を割りふるわけではない。

解釈2: 規約的に理解する

(\forall S)(\forall u)(\forall t)[Of(S, u) \rightarrow (Correct(u)\Leftrightarrow Obtains(S, t)]
すべての文タイプS とすべての発話uについて: uはSの発話であるならば (uが真 iff Sがtに実現する)


こちらの解釈では発話の真理は絶対的になる。一方、「時点t-において-真」は普通の真理述語からは区別されたテクニカルタームとして理解する(とりあえずテクニカルタームに「実現Obtains」という別の名前を与える)。↑の解釈は発話の真理によって、テニクニカルタームObtainsの意味を規約しているものと理解される。
この場合、文には二つの意味論的値が割り当てられる。ひとつは時点から真理値への関数で、もうひとつは真理値。対応して二つの内包が割り当てられる。「時点によって真偽が異なるような不完全な内容」と「時点によって真偽が変動しない完全な内容」の二つ。それぞれ〈雨が降っている〉〈tに雨が降っている〉と解釈できるかもしれない。
エヴァンズは超付値理論のたとえで説明している。超付値理論には真理の概念がふたつある。ひとつは、付値における真、もうひとつは発話の超真理。それに応じて文の解釈も二通りある。

  • #(P or ¬P): P or ¬Pは超真である.
  • #P OR #¬P: Pが超真である OR ¬Pは超真である.

解釈3: 現在形をモデルに理解する

(\forall S)(\forall u)(\forall t)[Of(S, u) \rightarrow (Correct(u)\Leftrightarrow True_t(S)]
すべての文タイプSとすべての発話uについて: uはSの発話であるならば (uが真 iff Sがtに真である)


「Xはtに-真である」を、「もし仮にtに現在形でXを発話していれば真だっただろう」のように理解する。過去演算子などは、文脈シフトのような意味合いをもつ。エヴァンズは3はまあ別に根本的な問題はないが、これはまったく新しい解釈で様相論理とは全然違うという話をしている。
(様相論理の場合は解釈1で特に問題ない)

コメント

エヴァンズの前提には「時点t-において-真」は端的な真理によって意味づけられなければならないというものがあると思うのだが、それはどうかなと思った。「pは真である」という端的な真理述語は原始的でよくて、「時点t-において-真」は意味が与えられなければならないという根拠はよくわからない。
あと解釈1はよく相対主義批判の文脈で出てくるのだが(マクファーレンがこれを持ち出した)、改めて見ると、ここでエヴァンズが批判しているのはかなり限定された立場なので、これをたとえばマクファーレンの立場への批判として読むのは無理筋であるように思った。むしろエヴァンズが注で、「私はこの立場は否定していない」と言っている立場がマクファーレンの立場に近い。