ヴィクター・ラヴァル『ブラック・トムのバラード』

たまに読んだ小説の感想を書こうと思う。

本作は、ラブクラフトの短篇小説「レッド・フックの怪」(または「レッド・フックの恐怖」)を語り直したもの。ノヴェラ(中編小説)にあたるのだろうか。それほど長い作品ではない。よく知られているように、ラブクラフト自身は人種差別主義的な思想をもった人物であり、作品にも時々そのような思想が顔をのぞかせることがある。本作の元となった「レッド・フックの怪」もそのひとつで、移民、外国人、有色人種などが忌しい存在と関わり、怪しい魔術を操るひとびととして描かれる。一方、本作は、自身も黒人であるヴィクター・ラヴァルがその「レッド・フックの怪」をトミーという黒人少年の視点から書き直している*1

以上のような本作のスタンスは「相反するすべての思いをこめて、H・P・ラヴクラフトに捧げる」という献辞にもよく表われている。本作はラブクラフトにリスペクトを捧げつつ、その人種差別的な部分を含め、換骨奪胎する試みなのである。

一般的には、以上のような本作のスタンスが興味をひくところなのかなと思うし、わたし自身もそれで興味をもったのだが、読んだ感想としては、むしろラブクラフト的な作風とうまく距離をとっている点が印象に残った。ラブクラフトっぽい描写やガジェットもそれなりに出てくるのだが、いわゆる「ラブクラフトっぽい作品」とはかなり違っている。

ここで言う、いわゆる「ラブクラフトっぽい作品」というのは、(a)はじめは懐疑的な語り手が少しずつ忌しいものに近づいていき、(b)それとともに精神に変調をきたし、(c)最終的にはやばいものに直面して、呪文のような謎の言葉(イアイア!とか)を吐いて死ぬなどの特徴をもった作品のことだ。この直前に読んだスティーヴン・キングの短篇(「呪われた村〈ジェルサレムズ・ロット〉」(『ナイトシフト1深夜勤務』収録)がもろにこれだったのだが、『ブラック・トムのバラード』これとはかなり違っている。本作はラブクラフト作品を下敷にしつつ、いわゆるベタなラブクラフト風を避けているのだ*2

具体的にどう違っているかというと、本作はむしろ近年の「ニュー・ウィアード」と呼ばれるジャンルに近い(近いというかニュー・ウィアードに分類されるような気がする)。ニュー・ウィアードの正確な定義はわたしも知らないし、本当に合意があるかどうかも微妙なのだが、一般的には、チャイナ・ミエヴィルとかジェフ・ヴァンダミアなどの小説に見られるようなファンタジーとSFとホラーを混ぜたような作風の小説をそう呼ぶのだと思う(多分)。本作のどこがニュー・ウィアードっぽいのか、言語化するのは難しいのだが、(a)魔法などが当り前に存在する世界観、(b)魔法のルールなどがファンタジーの定石を外してくる感じ、などはニュー・ウィアードっぽい。単にミエヴィルっぽいという説もあるが、少なくとも、ミエヴィル以後のファンタジー、ホラー、SFを取り混ぜた雰囲気をよく取り入れていて、それがうまいことラブクラフト成分を相殺している。もちろん、ファンタジー、ホラー、SFを境界横断的に書く作風と言えば、そもそものラブクラフト当人がまさにそのような作風であるし、実際ラブクラフトはニュー・ウィアードの祖のひとりとされることもあるようだが、一般的には、「名状しがたい」「忌しい」「クトゥルフ」などのイメージが強すぎて、それが見えにくくなっている。それに対し、本作は、テーマ上も、作風上も、新しい方向からラブクラフトにアプローチすることで、ラブクラフト作品のポテンシャルまで鮮烈に見せてくれたように思った。

*1:ちなみに「レッド・フックの怪」は『ラヴクラフト全集 5』に収録されている他、オーディオブック版も出ている。オーディオブック版は余計な効果音が入っているが、ラブクラフトはオーディオで聞くとめちゃくちゃおもしろいのでおすすめ。

*2:念のため注記しておくが、別にベタなやつも嫌いではない。

今年のベスト的な

読書メーターで読んだ本、kinenoteで観た映画を記録しているので、振り返って印象に残ったものを記載してみる。大半は2019年に作られたものではない。

全滅領域 (サザーン・リーチ1)

全滅領域 (サザーン・リーチ1)

叛逆航路 (創元SF文庫)

叛逆航路 (創元SF文庫)

ワンダーブック 図解 奇想小説創作全書

ワンダーブック 図解 奇想小説創作全書

ゼロから作るDeep Learning ―Pythonで学ぶディープラーニングの理論と実装

ゼロから作るDeep Learning ―Pythonで学ぶディープラーニングの理論と実装

嘘と貪欲―西欧中世の商業・商人観―

嘘と貪欲―西欧中世の商業・商人観―

理由 (朝日文庫)

理由 (朝日文庫)

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

Only Imagine: Fiction, Interpretation and Imagination (English Edition)

Only Imagine: Fiction, Interpretation and Imagination (English Edition)

  • 大きな変化として、読む本の半分くらいがオーディオブックになった。家で本を読む時間があまりないので移動中に聞けるオーディオブックばかり消化されていく。リストで言うと宮部みゆきオルハン・パムクはオーディオブック版があったから読んだ。書籍だと難しい感じの本もオーディオブックだとすっと入ってくる(ことがある)のでうれしい。
  • 去年から引きつづきの傾向だが、ノワール、犯罪小説を良く読むようになった。映画もノワールものばかり見ている。リストには入っていないが、チャンドラーのフィリップ・マーロウシリーズを一通り読んだのも今年だったと思う(主要作は去年読んだので入れなかった)。
  • それ以外では『叛逆航路』の三部作と『全滅領域』の三部作には特に影響を受けたと思う。特にヴァンダミアの方はすっかりファンになって『ワンダーブック』も一生懸命読んだ。

映画

スパイダーマン:スパイダーバース (字幕版)

スパイダーマン:スパイダーバース (字幕版)

  • 発売日: 2019/06/26
  • メディア: Prime Video

回路

回路

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

リング

リング

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

霊的ボリシェヴィキ

霊的ボリシェヴィキ

  • 発売日: 2019/06/05
  • メディア: Prime Video

バニー・レイクは行方不明 (字幕版)

バニー・レイクは行方不明 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

上海から来た女 (字幕版)

上海から来た女 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

  • 去年は50-60年代のSF映画をよく観ていたが今年は飽きてきたのかノワールをよく観るようになった。どうでもいいやつもいっぱい観たのだが、『バニー・レイクは行方不明』と『上海から来た女』はオールタイムベスト級。『上海から来た女』は原作小説も買った。
  • 改めてあげるとノワールとJホラーばっかりだった。積極的にホラーを観たつもりはなかったが、印象に残ったものをあげるとこの辺だった。『リング』はなんで今さらという感じだが、『回路』と『霊的ボルシェヴィキ』を入れたのでバランス的に入れようと思った(実は『回路』より『降霊』の方が好きなのだが、『降霊』を観たのは今年だっけ? 去年だっけ? 『降霊』はめっちゃ恐い上にストーリーとしてはノワールなのでよく考えたら『降霊』の方がバランスがよかったかもしれない)。

The Cambridge History of Philosophy, 1945–2015が出た

以前から予告されており、個人的に待望していた The Cambridge History of Philosophy, 1945–2015 がいつのまにか出ていたので紹介。と言ってもまだ読んでいないどころか買ってもいない(今月はもう本を買わないことにしているので12月になるまで買うのも我慢している)。目次と周辺情報だけの紹介だ。

この論文集はタイトル通り、哲学史の論文集だ。1945年から2015年、つまり第二次世界大戦後の期間を扱っている。近現代の哲学史だ。

詳しい目次については出版社Cambridge University Pressのサイトを参照されたい。

https://www.cambridge.org/core/books/cambridge-history-of-philosophy-19452015/8781B55721CCC1971722C3BDD00FFFDB

パート1は分析哲学、パート2は大陸哲学、パート3は両者の比較や接点を扱うという構成になっている。パート1は主に分析哲学の歴史だが、この中では「行為の哲学」「心の哲学」「ゲティア以後の認識論」「分析美学と芸術哲学」など、戦後の分析哲学のさまざまな分野を扱った論文が一通りそろっている。私の知っている項目で言えば「行為の哲学」の項はMaria Alvarez, John Hyman、「分析美学と芸術哲学」はStephen Daviesが書いており、執筆陣もなかなか豪華だ。近現代を扱うだけあって、哲学史研究者ではなく第一線の哲学の研究者が歴史を書くという形になっているのが独特かもしれない(The Oxford Handbook of The History of Analytic Philosophy もその辺は似ているが)。

分析哲学史を含む近現代の哲学史は近年改めて研究が進んでおり、ここ数年だけでもいくつも論文集が出版されている。なんとなくの印象だが、近現代の哲学史、特に最近の分析哲学史は、テキスト解釈ベースの古典的な哲学史の方法論だけではなく、科学史や文化史に近い歴史的な研究方法を取り入れたものが多く、昔ながらの哲学史 とはかなりイメージが違うタイプの研究も増えているようには感じている。

前シリーズにあたる The Cambridge History of Philosophy, 1870-1945 もある程度読んだが、20世紀哲学史は、明らかに重要であるにもかかわらずまだ全然研究されていない謎の領域もたくさんあって楽しい分野だ。近い時代であればあるほど、「教科書的な歴史」を真に受けてしまいがちだが、「教科書的な歴史」はちょっと調べると簡単に崩壊するので、簡単に知的衝撃を味わうことができる。

The Cambridge History of Philosophy 1870?1945

The Cambridge History of Philosophy 1870?1945

ついでに紹介しておくと、The Cambridge History of Philosophy, 1945–2015 と扱う時代が近いのは2013年に出版された The Oxford Handbook of The History of Analytic Philosophy だ。こちらは本書と違って分析哲学史限定だが、分析哲学史に関しては扱っている分野はかなり重なっている。例えば、分析美学の項目は、The Cambridge History of Philosophy はStephen Daviesが書いているが、The Oxford Handbook の方では Peter Lamarqueが書いている。両者を読み比べてみるのも楽しそうだ。

The Oxford Handbook of the History of Analytic Philosophy (Oxford Handbooks)

The Oxford Handbook of the History of Analytic Philosophy (Oxford Handbooks)

『アーカイブ騎士団011 会計SF小説集』(第二十九回文学フリマ東京)

f:id:at_akada:20191112215420j:plain
会計SF小説

追記: kindle版も出ています

第二十九文学フリマ東京に参加します。新刊『会計SF小説集』が出ます。小説アンソロジーです。

項目 内容
開催日 2019年11月24日(日)
場所 東京流通センター 第一展示場
サークル アーカイブ騎士団
ブース ク-15
Webカタログ https://c.bunfree.net/c/tokyo29/!/%E3%82%AF/15

サークル過去作はこちら

会計SFとは何かについて一応説明しておくと、SFはサイエンスとテクノロジーの文学であり、会計はテクノロジーなので、会計についてのSFも存在するというわけです。存在するというか、この本の出版によって創設されました。

以下掲載作の一行紹介と本文サンプル。これ以外にも短篇と、日商簿記2級受験記が載ります。

「簿記とAI」高田敦史

本文サンプル

この小説を書くために簿記2級を取りました。唯一2級を取得しているので私が一番会計に詳しいはずです。貿易商とロボットが、敵対的生成ネットワーク(GAN)と複式簿記に関する陰謀に巻き込まれる。

「サイボーグは冷たい帳簿の中に」森川真

本文サンプル

巨大造船所で繰り広げられる簿記バトル。

「複式墓地」渡辺公暁

本文サンプル

命の簿記。

スタンフォード哲学事典のデータでword2vec

f:id:at_akada:20190817133854p:plain

自然言語処理の領域で近年注目されている技術にword2vecというのがあります。

今日は、夏休みの自由研究として、スタンフォード哲学事典のデータを使って、word2vecを作ってみたいと思います。

人文系の領域でコンピューターを使った研究は、最近デジタル・ヒューマニティーズなどと呼ばれてちょっと流行しているようです。私もデジタル・ヒューマニティーズやってみたいので、手始めにとりあえずやってみます。といっても今回の試みは遊びみたいなものですが、コードと手順は残しておくので、もっと本格的な研究のとっかかりになればと思います。

コードと手順は以下に残してあります。

ちなみに、デジタル・ヒューマニティーズにおけるword2vecの応用については、以下の記事を参考にしました。

Vector Space Models for the Digital Humanities

ただし、今回は「作る」ことがメインで、その先の「研究」の部分はほとんど何もしていません。

word2vecとは

word2vec自体の解説はちょっと大変なのでかなりスキップします。各自検索などして調べてください。

元論文はこちらです(元論文はあまり詳細を説明してくれていない)。

大雑把に言うと、単語の意味情報を反映した高次元のベクトル(単語ベクトル)を作る技術です。以下のように、学習元のテキストに現われる単語を、高次元(だいたい100次元から600次元くらい)のベクトルに変換します。その際、このベクトルにうまく意味情報を反映させます。

"kant" => [1.0, 0.0, 1.1, ...]
"hegel" => [0.0, 1.0, 2.0, ...]

うまく意味情報を反映させるとどうなるかというと、似た単語はベクトル空間の中で近い位置にきます。語同士の(コーパス内の・ある観点での)類似性関係を多次元空間にマッピングしていると考えればいいと思います。

また、うまく意味情報を反映させた結果、「アナロジー」と呼ばれる謎の演算ができるようになります。これは元々制作者が意図したものではないようですが、なぜかできるようになったらしいです。

# (ベルリン - ドイツ) + フランス = パリ
(v['berin'] - v['germany']) + v['france']
=> 'paris'

「ベルリン - ドイツ」ってなんだよって感じですが、気持ちとしては、ベルリンからドイツをマイナスすると首都成分になり、「首都成分 + フランス」がパリになると。

この結果はわりとインパクトがあったようですが、今ひとつ根拠が不透明なのと、やっても頓珍漢な結果が返ってくることも多いのでアレです。

まあアナロジーはおまけみたいなもので、word2vecの本来の用途を考えると、文書の分類・検索のために使用するという方が正道のような気もします。

余談 + 背景解説を少しだけ

ちなみに、word2vecは作り方がちょっとおもしろくて、ある課題を解くニューラルネットワークを学習させて、その結果は使用せず、学習したパラメーターだけをベクトルとして使います。湯葉を作るために豆腐を作って、豆腐は捨てて湯葉だけ使うみたいな感じですね。

あと、個人的な関心で一点だけ。私は言語学史に少し興味があるのですが、実はword2vecや埋め込み単語モデルで使用されている語の意味についての考え方は、チョムスキー以前のアメリ構造主義言語学の発想に近いんですね。それはどういうものかというと、「同じような文の同じような位置に現われる語は意味が似ている」という発想です。

x はドイツの哲学者である

「カント」「ヘーゲル」という語はどちらも、上のような文のXの位置に現われる確率が高いと想定されます。もちろん学習元のデータにもよりますが、「ドイツ」「哲学者」などの単語と共起する確率が高くなるはずです。

この例だと少しわかりにくいかもしれませんが、同義語(たとえば「独身者」と「結婚していない人」)の場合であれば、出現する位置はほぼ同じになるはずです。この手法では、以上のように、共起に関する特性が近い場合に、「意味が近い」と見なします*1

実を言うと、これは構造主義言語学で「分布分析(distributional analysis)」と呼ばれていたものとほぼ同じ考え方です*2。実際、たまに参照されることはあるようで、facebookの研究者が書いた論文で、チョムスキーの師匠であるゼリッグ・ハリスの50年代の論文が参照されているのを見つけてびっくりしました。

分布分析は、行動主義が強かった時代の産物で、その後認知科学側に立つチョムスキーなどが批判したイメージがあったのですが、大規模データが使えるようになると復活してくるというのはちょっとおもしろいですね。

手順

Google Colaboratoryという便利なものがあるので、実行はすべてその上でやっていきます。こちらにあるノートのセルを1つずつ実行していくだけで、実行できる算段です(編集不可にしてあるので実行したい場合はコピーしてください)。Colaboratoryの使い方は各自調べてください。

クローラーはすでに作ったものがあるので、そちらを使って、スタンフォード哲学事典(SEP)の全記事をダウンロードします。ここが一番時間のかかる作業で、90分くらいかかります。現在全記事で1124件あるようです。

あわせて、解析しやすいように加工してあります。ドットやカンマをとりのぞき、1文1行ずつ切り出しておきます。全データで60万行程度ありました。

例.

in the philosophical literature the term abduction is used in two related but different senses
in both senses the term refers to some form of explanatory reasoning

ダウンロードが終わったら、gemsimというライブラリを使って学習させます。とりあえず300次元で学習させます。ここは数分で終わりました。

sentences = LineSentence('/content/sep_crawl/data/sep/sep-entries.txt')
w2v = Word2Vec(sentences, size=300)

"kant" の類似語を表示させます。解析用にすべて小文字にしてあるので人名も小文字です。ヘーゲル、ヒューム、フィヒテなどが類似語として出てきました。

print(w2v.wv.most_similar_cosmul(positive=["kant"], topn=3))
# => [('hegel', 0.8737826943397522), ('hume', 0.8399000763893127), ('fichte', 0.8334291577339172)]

良さそうです。

可視化

せっかく作ったので、少し語彙空間を探索してみましょう。まず、カントからはじめて、類似語をちょっとずつ増やしながら集めてみます。

terms = ['kant']
clusters = [0]
n = 5
for i in range(15):
  result = w2v.wv.most_similar_cosmul(positive=terms, topn=n)
  terms += [r[0] for r in result]
  clusters += [i + 1] * n
vectors = np.vstack([w2v.wv[t] for t in terms])

# >= ['kant', 'hegel', 'hume', 'fichte', 'spinoza', 'maimon', ...]

2次元に圧縮して可視化します。

tsne = TSNE(n_components=2, perplexity=50.0)
matrix = np.vstack(vectors)
v2d = tsne.fit_transform(matrix)
x = v2d[:, 0]
y = v2d[:, 1]
plt.figure(figsize=(12, 10))
s = plt.scatter(x, y, c=clusters, cmap='viridis')
plt.colorbar(s)
plt.grid(True)
for i, n in enumerate(terms):
  plt.annotate(n, xy=(x[i], y[i]),
                     xytext=(5, 2),
                     textcoords='offset points',
                     ha='right',
                     va='bottom')
plt.show()

f:id:at_akada:20190817133854p:plain

いえーい、できました。カントの近くに、ヘーゲルフィヒテシェリングなどがいて、見えにくいですが、遠くの方にトルストイやステビングがいますね。色は、カントから何ステップで到達したかを表わしていて、色が薄くなるほど遠いです。また、平面上の距離も大まかには語同士の「遠さ」を表わしているはず。

次に、x軸をカントとの類似度、y軸をマルクスとの類似度にして可視化してみます。なぜマルクスかというと、傾向がはっきりしていておもしろかったからです。

score0 = [w2v.wv.similarity('kant', w) for w in terms]
score1 = [w2v.wv.similarity('marx', w) for w in terms]
plt.figure(figsize=(9, 9))
plt.xlabel('kant')
plt.ylabel('marx')
plt.grid(True)

s = plt.scatter(score0, score1, c=clusters, cmap='viridis')
for i, n in enumerate(terms):
  plt.annotate(n, xy=(score0[i], score1[i]),
                     xytext=(5, 2),
                     textcoords='offset points',
                     ha='right',
                     va='bottom')
plt.show()

f:id:at_akada:20190817170406p:plain
カント度・マルクス

フーコー、ホルクハイマー、ヘーゲルの「マルクス度」が高いですね。一方、ヒュームやライプニッツマルクスから遠く、カントには近いようです。

もうちょっといろいろできそうですが、今日のところはこんなもので。

*1:よく読めばわかると思いますが、「共起しやすい」=「意味が近い」ではないことに注意。「同じような語をともないやすい」=「意味が近い」です。

*2:哲学系の人であれば、クワインの「2つのドグマ」における同義性概念の批判を思い出すかもしれません。クワインが分布分析について知っていたかどうかはよくわからないのですが、少なくともクワインが批判した考えと分布分析はよく似ていると思います。

苗村弘太郎「物語的説明モデルの原型としてのヘンペルモデル」

ネット公開されたということで、以下の論文を読んだ。なかなかおもしろい論文だったので紹介したい。

苗村弘太郎(2019)「物語的説明モデルの原型としてのヘンペルモデル」『科学哲学科学史研究』第13号 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/240984

この論文は、次のことを論じている。A. C. ダントーは歴史的説明に関して、ヘンペルのモデルを批判したと一般に理解されている。ヘンペルが、自然科学と変わらない一般法則を通じた歴史的説明のモデルを提案したのに対し、ダントーの説では、歴史記述は個別的出来事の理解を重視する立場をとっているのだとされる。ところが、著者によると、この理解は誤っている。ダントーの説は、一般に思われているよりもヘンペルのそれに近く、歴史的説明には一般法則が必要であることもダントー自身が認めている。さらに、ヘンペルの立場も、一般に理解されているよりも、もう少し巧みなものである。

ダントー

ダントーは歴史的説明をどのように理解したか。ダントーによれば、歴史家がすることは、変化の始点と終点の間を埋めるような物語を語ることである。例えば、「時点Aにバッキンガム公はスペインとの婚約に賛成していた」「時点Cにバッキンガム公はスペインとの婚約に反対していた」という変化があった場合、歴史家は、この変化を説明するために、二つの出来事の間を埋める。

例えば、以下のように、中間の部分((2)の部分)を埋めることで、変化の説明を完成させる。

  • (1). 「時点Aにバッキンガム公はスペインとの婚約に賛成していた」
  • (2). 「時点Bにバッキンガム公はスペインの宴席で無礼な待遇に腹を立てた
  • (3). 「時点Cにバッキンガム公はスペインとの婚約に反対していた」

「(2)のような出来事があったので、(1)から(3)への変化があったのだね、うんうん」という説明がえられるわけだ。

だが、どのような出来事でも説明の役割を果たしうるわけではない。当然ながら(3)の変化と無関係な出来事を挿入しても何の説明にもならない。

この際、実際に(2)による説明が果す役割を考えると、ダントーのモデルは、ヘンペルの科学的説明のモデル──初期条件と法則から結果が導かれる──とそう大きく変わるわけではない。例えば、上の例で、(2)が説明の役割を果たすように見えるのは、「人は一般に無礼な待遇に腹を立てると、依頼を断わるものだ」とか「バッキンガム公のようなプライドの高い男は無礼な待遇に影響されやすい」といった一般法則が暗黙にであれ、念頭に置かれるからだろう。

では、ダントーとヘンペルの間には何のちがいもないのかというとそうではない。本論では両者のちがいも説明されているが、紹介が長くなったのでこの辺で終わる。

感想

一般に歴史的な論文の場合「この二つの出来事は因果関係あると思うけど、はっきり示すのは困難なので、そうは書かないでおこう」とか「この二つの出来事は誰がどう見ても因果関係あるので、これは書いておこう」という微妙な匙加減が結構あるなあと思っているのだが、ダントーモデルはその辺の微妙な塩梅をうまく捉えている感じはするなーという感想をもっている。

また歴史の場合、因果関係を示すために「常識」以上のリソースを使うのは難しいので、歴史は一般法則に関心ないというのも、ある程度はわかる気はする。言うてもまったく一般法則使わないのは不可能でしょ?と言われればその通りかもしれないが、別に常識レベルの推論しか使ってないのに、「一般法則に訴えてる」と言われても、「そりゃまあそうですがねー」という感じになるというか何というか。

ツヴェタン・トドロフ「探偵物語の類型学」

Poetics of Prose: Literary Essays from Lermontov to Calvino (English Edition)

Poetics of Prose: Literary Essays from Lermontov to Calvino (English Edition)

Tzvetan Todorov(1977) The Typology of Detective Fiction. In Tzvetan Todorov, Richard Howard (trans) The poetics of prose. Blackwell.

ツヴェタン・トドロフの有名な探偵小説論。有名な論考のわりに、あまり日本語で紹介を見たことがないと思ったので書いておく。残念ながらこの論文の日本語訳はない(と思う)。

この論考は、題名の通り、探偵物語、探偵小説の分類を論じたものだ。「探偵物語」の原語はDetective Fictionなので、探偵フィクションとでも訳すべきかもしれないが、へんな日本語になってしまうのでとりあえず「探偵物語」「探偵小説」などと訳す。

この論考の中でトドロフは探偵小説を三つの類型にわけている。

  1. フーダニット
  2. スリラー
  3. サスペンスノベル

この三つの中身自体は説明を聞けば「なるほど」という感じだが、「フーダニット」「スリラー」「サスペンス」という名称自体はあまり一般的ではなく、トドロフの独特の用法なので、気にしない方がいいと思う。

フーダニット

トドロフが「フーダニット」と呼ぶのは、黄金期のミステリに見られるような類型だ。「ミステリ」とか「探偵小説」と聞いてまっさきに思い浮かべるようなタイプのものを想定してもらって良い。事件が起き、探偵が謎を解き、犯人を当てる。ちなみに、探偵小説で「黄金期」と言った場合は、一般的に戦間期、つまり第一次大戦と第二次大戦の間の期間を指すことが多いと思う。

フーダニットは、犯罪のストーリーと捜査のストーリーという二つのストーリーから成る。第一のストーリーでは、恐るべき犯罪が実行されるが、その詳細は物語の開始時点では伏せられている。第二のストーリーは、第一のストーリーが終わった後ではじまる。第二のストーリーでは、探偵が事件を捜査する。探偵は行動せず、ただ学び、考え、答えを探す。そのため、第二のストーリーでは大した出来事は生じない。第二のストーリーは、第一のストーリーを復元し終えた段階で終わりを迎える。

表にまとめると、トドロフは第一のストーリーと第二のストーリーをそれぞれ以下のように特徴づけている。

主題による特徴づけ 時間による特徴づけ 対応する問い
犯罪のストーリー 過去の物語 何が起きたのか?
捜査のストーリー 現在の物語 われわれはそれをどうやって知ったのか?

トドロフによれば、第一のストーリーと第二のストーリーはそれぞれ、物語論で言うところの「ストーリー」と「プロット」や、「出来事」と「語り」に対応する。もちろんそのようにまとめてしまえば、探偵小説にかぎらず、あらゆる物語に当てはまる区別になってしまうのだが、フーダニットの特徴は、第一のストーリーと第二のストーリーが時間的に前後してつらなり、第二のストーリーの中で第一のストーリーが発見されるという部分にある。

スリラー

スリラーは、先に述べた第一のストーリーと第二のストーリーのうち、第二のストーリー(捜査のストーリー)だけを独立させたものだ。どういうことかというと、過去の出来事の復元には焦点が当たらず、現在や未来の出来事──「この危機をのりこえられるか?」「これからどうなる?」──に焦点が当てられる。要するに、冒険小説に近い形態の探偵物語ということになる。

おそらく、日本語でこのジャンルを「スリラー」と呼ぶことはほとんどない。「ハードボイルド」や「ノワール」または「サスペンス」といった方が通りがよいだろう*1。実際、トドロフが具体例としてあげるのは、ハメットやチャンドラーといったハードボイルドの作家だ*2トドロフは、スリラーを、好奇心や緊張感のような感情、および暴力、セックス、反モラルといった主題の点からも特徴づけている*3

ちなみにスリラーの隣接ジャンルであるが、「探偵物語」に含まれないジャンルとして、スパイフィクションがある。よく知られているように(というほどよく知られていないが)007の原作者イアン・フレミングは、チャンドラーの友人でもあり、チャンドラーに影響を受けていた。

サスペンス小説

サスペンス小説は、フーダニットとスリラーの中間的な形態の作品を指す。謎解きもありつつ、捜査の物語のサスペンスや好奇心も維持されるという形態のものだ。繰り返しになるが、これはあまり一般的な用語ではなく、「サスペンス小説」という語をこの意味で使うのは私の知るかぎり、トドロフ以外では見たことがないのだが、こういう類型の作品がたくさんあるのはその通りだろう。

トドロフはこの典型のひとつとして「容疑者兼探偵のストーリー」という形態のものをあげている。主人公が突然容疑者になってしまい、捜査の手を逃れると同時に真犯人を探す。私もよく知らないが、ウィリアム・アイリッシュ、パトリック・クエンティン、チャールズ・ウィリアムズがよくこういう小説を書いているらしい。

おまけの宣伝

ユリイカ 2019年3月臨時増刊号 総特集◎魔夜峰央』で、トドロフのこの論考の話をちょっとだけしたので宣伝しておく。

*1:トドロフはスリラーとサスペンスを区別しているが、これはそれほど一般的な用法ではないと思う。

*2:念のために付けくわえておくと、一応ハメットやチャンドラーにも謎ときはあるのだが、それがメインではないと言ってもそれほど問題ないだろう。

*3:ちなみに、ここで「緊張感」と訳した語はsuspenseだ。トドロフはなんと「スリラー」と「サスペンス小説」を別カテゴリとして提示しつつ、スリラーの特徴づけの方にサスペンスを入れている。