ツヴェタン・トドロフ「探偵物語の類型学」

Poetics of Prose: Literary Essays from Lermontov to Calvino (English Edition)

Poetics of Prose: Literary Essays from Lermontov to Calvino (English Edition)

Tzvetan Todorov(1977) The Typology of Detective Fiction. In Tzvetan Todorov, Richard Howard (trans) The poetics of prose. Blackwell.

ツヴェタン・トドロフの有名な探偵小説論。有名な論考のわりに、あまり日本語で紹介を見たことがないと思ったので書いておく。残念ながらこの論文の日本語訳はない(と思う)。

この論考は、題名の通り、探偵物語、探偵小説の分類を論じたものだ。「探偵物語」の原語はDetective Fictionなので、探偵フィクションとでも訳すべきかもしれないが、へんな日本語になってしまうのでとりあえず「探偵物語」「探偵小説」などと訳す。

この論考の中でトドロフは探偵小説を三つの類型にわけている。

  1. フーダニット
  2. スリラー
  3. サスペンスノベル

この三つの中身自体は説明を聞けば「なるほど」という感じだが、「フーダニット」「スリラー」「サスペンス」という名称自体はあまり一般的ではなく、トドロフの独特の用法なので、気にしない方がいいと思う。

フーダニット

トドロフが「フーダニット」と呼ぶのは、黄金期のミステリに見られるような類型だ。「ミステリ」とか「探偵小説」と聞いてまっさきに思い浮かべるようなタイプのものを想定してもらって良い。事件が起き、探偵が謎を解き、犯人を当てる。ちなみに、探偵小説で「黄金期」と言った場合は、一般的に戦間期、つまり第一次大戦と第二次大戦の間の期間を指すことが多いと思う。

フーダニットは、犯罪のストーリーと捜査のストーリーという二つのストーリーから成る。第一のストーリーでは、恐るべき犯罪が実行されるが、その詳細は物語の開始時点では伏せられている。第二のストーリーは、第一のストーリーが終わった後ではじまる。第二のストーリーでは、探偵が事件を捜査する。探偵は行動せず、ただ学び、考え、答えを探す。そのため、第二のストーリーでは大した出来事は生じない。第二のストーリーは、第一のストーリーを復元し終えた段階で終わりを迎える。

表にまとめると、トドロフは第一のストーリーと第二のストーリーをそれぞれ以下のように特徴づけている。

主題による特徴づけ 時間による特徴づけ 対応する問い
犯罪のストーリー 過去の物語 何が起きたのか?
捜査のストーリー 現在の物語 われわれはそれをどうやって知ったのか?

トドロフによれば、第一のストーリーと第二のストーリーはそれぞれ、物語論で言うところの「ストーリー」と「プロット」や、「出来事」と「語り」に対応する。もちろんそのようにまとめてしまえば、探偵小説にかぎらず、あらゆる物語に当てはまる区別になってしまうのだが、フーダニットの特徴は、第一のストーリーと第二のストーリーが時間的に前後してつらなり、第二のストーリーの中で第一のストーリーが発見されるという部分にある。

スリラー

スリラーは、先に述べた第一のストーリーと第二のストーリーのうち、第二のストーリー(捜査のストーリー)だけを独立させたものだ。どういうことかというと、過去の出来事の復元には焦点が当たらず、現在や未来の出来事──「この危機をのりこえられるか?」「これからどうなる?」──に焦点が当てられる。要するに、冒険小説に近い形態の探偵物語ということになる。

おそらく、日本語でこのジャンルを「スリラー」と呼ぶことはほとんどない。「ハードボイルド」や「ノワール」または「サスペンス」といった方が通りがよいだろう*1。実際、トドロフが具体例としてあげるのは、ハメットやチャンドラーといったハードボイルドの作家だ*2トドロフは、スリラーを、好奇心や緊張感のような感情、および暴力、セックス、反モラルといった主題の点からも特徴づけている*3

ちなみにスリラーの隣接ジャンルであるが、「探偵物語」に含まれないジャンルとして、スパイフィクションがある。よく知られているように(というほどよく知られていないが)007の原作者イアン・フレミングは、チャンドラーの友人でもあり、チャンドラーに影響を受けていた。

サスペンス小説

サスペンス小説は、フーダニットとスリラーの中間的な形態の作品を指す。謎解きもありつつ、捜査の物語のサスペンスや好奇心も維持されるという形態のものだ。繰り返しになるが、これはあまり一般的な用語ではなく、「サスペンス小説」という語をこの意味で使うのは私の知るかぎり、トドロフ以外では見たことがないのだが、こういう類型の作品がたくさんあるのはその通りだろう。

トドロフはこの典型のひとつとして「容疑者兼探偵のストーリー」という形態のものをあげている。主人公が突然容疑者になってしまい、捜査の手を逃れると同時に真犯人を探す。私もよく知らないが、ウィリアム・アイリッシュ、パトリック・クエンティン、チャールズ・ウィリアムズがよくこういう小説を書いているらしい。

おまけの宣伝

ユリイカ 2019年3月臨時増刊号 総特集◎魔夜峰央』で、トドロフのこの論考の話をちょっとだけしたので宣伝しておく。

*1:トドロフはスリラーとサスペンスを区別しているが、これはそれほど一般的な用法ではないと思う。

*2:念のために付けくわえておくと、一応ハメットやチャンドラーにも謎ときはあるのだが、それがメインではないと言ってもそれほど問題ないだろう。

*3:ちなみに、ここで「緊張感」と訳した語はsuspenseだ。トドロフはなんと「スリラー」と「サスペンス小説」を別カテゴリとして提示しつつ、スリラーの特徴づけの方にサスペンスを入れている。