Aaron Smuts「サスペンスのパラドックス」

The Paradox of Suspense (Stanford Encyclopedia of Philosophy)

  • 1. サスペンスのパラドックス
  • 2. 思考された不確かさ
  • 3. サスペンスについての欲求不充足説
  • 4. 瞬間瞬間の忘却
  • 5. 感情の取り違え
  • 6. サスペンスと驚き
  • 7. 要約

スタンフォード哲学事典の記事。サスペンスというのは、映画などを見て、ドキドキするあれ。
サスペンスのパラドックスとは次のようなパラドックス
サスペンスには不確かさが必要だと思われる。しかし繰り返し映画などを見る際、先の展開を知っていてもドキドキすることがある。


パラドックスっぽい形で書けば以下のようになる。

  • 1. サスペンスには不確かさが必要だ。
  • 2. ストーリーの結末を知っていると不確かさは排除される。
  • 3. ストーリーの結末を知っていてもサスペンスを感じることがある。

この3つは整合的ではないのでどれかがまちがっている。解決はこのどれかを否定する。

サスペンスには不確かさは必要ないという説

(1)思考された不確かさ説
サスペンスにはかならずしも現実の不確かさはいらない。どんな結果にもなりうるということが想像できれば、結末を知っていてもドキドキする。
(2)欲求不充足説
サスペンスは不確かさではなく、欲求が充足されないということからくる。例えば登場人物に危険がせまり、助けたいと思っても何もできないというところからサスペンスが生じる。

鑑賞者は結末を知っていることを否定する説

(3)瞬間的忘却説
鑑賞者は夢中になっているうちに結末を忘れてしまうという説。

鑑賞者がサスペンスを感じることを否定する説

(4)感情の取り違え説
鑑賞者はサスペンスと別の感情(「期待」)を取り違えているという説。


具体例がなかなかおもしろい。例えばヒッチコックの『裏窓』で、主人公はケガしており、窓から双眼鏡でアパートを観察する。しかし双眼鏡を通して恋人に危険が迫るところを発見しても、何もできない。これはサスペンスの好例でもあるし、主人公の置かれた状況自体が映画の鑑賞者の隠喩のようになっている。著者は自分では欲求不充足説を擁護しているので、こういう「手を出せない」っていうのがサスペンスの重要な要素なんだと強調している。
あと小説でももちろんサスペンスはあるのだが、やはり映画の例が多い。映画と相性のいい感情なのかもしれない。

感想

個人的には、「なぜ結末を知っていても鑑賞者はサスペンスを感じるのか?」という事実の問いより、「なぜ結末を知っているのにサスペンスを感じるべきなのか?」という規範の問い・合理性の問いの方が気になっている。
サスペンスや驚きは無知と結びついた感情なのでおもしろい。
例えば、相手に落ち度があると誤って信じた上で怒る人に対しては、「怒る理由はない」と言えそうだ。この意味で感情の理由は、関連する事実の正しい理解に結びついている。
しかし結末がハッピーエンドだからと言って、「ドキドキする理由はない」とは言えないように思う。では正しくドキドキする理由があるのはいつなのか?
あとまあこういう話はサスペンスという感情の本質を教えてくれないとおもしろくもなんともないので、サスペンスという感情の本質を教えてくれるような立場の方がおもしろいと思う。