ヴィクター・ラヴァル『ブラック・トムのバラード』

たまに読んだ小説の感想を書こうと思う。

本作は、ラブクラフトの短篇小説「レッド・フックの怪」(または「レッド・フックの恐怖」)を語り直したもの。ノヴェラ(中編小説)にあたるのだろうか。それほど長い作品ではない。よく知られているように、ラブクラフト自身は人種差別主義的な思想をもった人物であり、作品にも時々そのような思想が顔をのぞかせることがある。本作の元となった「レッド・フックの怪」もそのひとつで、移民、外国人、有色人種などが忌しい存在と関わり、怪しい魔術を操るひとびととして描かれる。一方、本作は、自身も黒人であるヴィクター・ラヴァルがその「レッド・フックの怪」をトミーという黒人少年の視点から書き直している*1

以上のような本作のスタンスは「相反するすべての思いをこめて、H・P・ラヴクラフトに捧げる」という献辞にもよく表われている。本作はラブクラフトにリスペクトを捧げつつ、その人種差別的な部分を含め、換骨奪胎する試みなのである。

一般的には、以上のような本作のスタンスが興味をひくところなのかなと思うし、わたし自身もそれで興味をもったのだが、読んだ感想としては、むしろラブクラフト的な作風とうまく距離をとっている点が印象に残った。ラブクラフトっぽい描写やガジェットもそれなりに出てくるのだが、いわゆる「ラブクラフトっぽい作品」とはかなり違っている。

ここで言う、いわゆる「ラブクラフトっぽい作品」というのは、(a)はじめは懐疑的な語り手が少しずつ忌しいものに近づいていき、(b)それとともに精神に変調をきたし、(c)最終的にはやばいものに直面して、呪文のような謎の言葉(イアイア!とか)を吐いて死ぬなどの特徴をもった作品のことだ。この直前に読んだスティーヴン・キングの短篇(「呪われた村〈ジェルサレムズ・ロット〉」(『ナイトシフト1深夜勤務』収録)がもろにこれだったのだが、『ブラック・トムのバラード』これとはかなり違っている。本作はラブクラフト作品を下敷にしつつ、いわゆるベタなラブクラフト風を避けているのだ*2

具体的にどう違っているかというと、本作はむしろ近年の「ニュー・ウィアード」と呼ばれるジャンルに近い(近いというかニュー・ウィアードに分類されるような気がする)。ニュー・ウィアードの正確な定義はわたしも知らないし、本当に合意があるかどうかも微妙なのだが、一般的には、チャイナ・ミエヴィルとかジェフ・ヴァンダミアなどの小説に見られるようなファンタジーとSFとホラーを混ぜたような作風の小説をそう呼ぶのだと思う(多分)。本作のどこがニュー・ウィアードっぽいのか、言語化するのは難しいのだが、(a)魔法などが当り前に存在する世界観、(b)魔法のルールなどがファンタジーの定石を外してくる感じ、などはニュー・ウィアードっぽい。単にミエヴィルっぽいという説もあるが、少なくとも、ミエヴィル以後のファンタジー、ホラー、SFを取り混ぜた雰囲気をよく取り入れていて、それがうまいことラブクラフト成分を相殺している。もちろん、ファンタジー、ホラー、SFを境界横断的に書く作風と言えば、そもそものラブクラフト当人がまさにそのような作風であるし、実際ラブクラフトはニュー・ウィアードの祖のひとりとされることもあるようだが、一般的には、「名状しがたい」「忌しい」「クトゥルフ」などのイメージが強すぎて、それが見えにくくなっている。それに対し、本作は、テーマ上も、作風上も、新しい方向からラブクラフトにアプローチすることで、ラブクラフト作品のポテンシャルまで鮮烈に見せてくれたように思った。

*1:ちなみに「レッド・フックの怪」は『ラヴクラフト全集 5』に収録されている他、オーディオブック版も出ている。オーディオブック版は余計な効果音が入っているが、ラブクラフトはオーディオで聞くとめちゃくちゃおもしろいのでおすすめ。

*2:念のため注記しておくが、別にベタなやつも嫌いではない。