戸田山和久『哲学入門』

哲学入門 (ちくま新書)哲学入門 (ちくま新書)

  • 序 これがホントの哲学だ
  • 第1章 意 味
  • 第2章 機 能
  • 第3章 情 報
  • 第4章 表 象
  • 第5章 目 的
  • 第6章 自 由
  • 第7章 道 徳
  • 人生の意味――むすびにかえて
  • 参照文献と読書案内
  • あとがきまたは謝辞または挑戦状

意味や情報などあるのかないのかよくわからない「存在もどき」を科学的な「モノだけ世界観」の中に位置付ける自然主義の壮大なプロジェクトを展開した哲学入門。「情報」「機能」などちょっと普通の哲学入門には無いような章立て。後半は戸田山自然主義の立場から「自由」「道徳」を論じる。野心的でおもしろい本。
で、終わらせてもいいんだけど、ちょっと気になる点。いろいろ考えていたらあまりまとまらなくなってきたので、うまく違和感を表現できるかわからないが書いてみる。
戸田山氏は古典的な分析哲学がやってきたとされる「概念分析」に代え、大事なのは事象そのものを解明する理論構築で、むしろ哲学者の仕事は概念を作ること、概念工学だと主張する。
「概念分析」は以下のようなものだと言われている。

  • 知識や意味のような概念の必要十分条件をあげる。
  • 思考実験など仮想的なケースと直観によってテストされる。
  • 日常概念の分析であり、日常概念と一致していることが求められる。

ただ、これは哲学者の仕事の自己理解としてもまずいし、そんなことより理論構築が大事だと批判される。岩石学に必要なのは、岩石という日常概念の分析ではなく、理論的定義だ。哲学においても、理論的定義があればよいはずだと。
確かに、上のような理解は哲学の仕事についての自己理解としてはまずいし、当座の目的に必要とされる以上の細かい分析に付き合う必要はないというレベルでは賛成だ。しかし違和感もある。
違和感のひとつめ。「概念分析」という言葉自体がかなり多様に使われるので、これは概念分析の理解としてかなり狭いのではないかという点。例えば日常概念の連関を描くというプロジェクトのことを概念分析と呼ぶ人もいれば、パラフレーズのことを概念分析という人もいる。「必要十分条件をあげる」というのもたくさんある方法のひとつでしかない。敵を矮小化しすぎではないか。
次。岩石学のような科学理論の場合、重要なのは理論全体が産出する予測などの認識利得であって、個々のパーツの定義だけ取り出して評価するのはあまり意味がないかもしれない。一方、戸田山氏にとって、哲学理論における認識利得やゴールは何なのだろう。あとがきでは「良い社会をつくる」という話が出てくるが、さすがにそれはプライマリーなゴールではないだろう。個人的に思うのは、例えば哲学理論の場合「何が道徳的に正しい事柄か」についての予測を産出することが目標です、なんてこともありえる。そのケースで道徳的正しさの条件を与えることは、岩石学における「岩石」の定義とは、理論的重要度がまったく違ってくるだろう(ただもちろんこれは目的しだいなので、何が目的だと思っているのかが気になる)。