Paisley Livingston「物語(ナラティブ)」
The Routledge Companion to Aestheticsの「物語」の章
The Routledge Companion to Aesthetics (Routledge Philosophy Companions)
- 物語を位置づける
- 物語とは何か?
- 選択肢の評価
- 語り手と語り
- 物語と美的価値
サーヴェイなので、読んで物語がわかった気はしないが、以下のふたつの関心があるようだ(両者はもちろん関係するけど)。
- 独特の説明・理解の様式としての「物語」
- フィクション・芸術作品の構成要素としての「物語」
物語の種々の定義を分類したものが載っていた。最近は物語の必要十分条件を与えるだけではなく、「物語度」みたいなものを考え、物語度が高いものを物語と呼ぶというアプローチもあるらしい(下の方に載せてあるCurrieの本はそういうアプローチだ)。
- 内容に関する条件を与える説
- 物語は少なくとも一つの出来事または状態変化を表現する
- 物語は少なくともひとりの行為者、キャラクターの意識的経験を表現する
- 物語は少なくともひとりの出来事または行為の語り手、提示者を表現する
- 物語は虚構の語り手によって宛先とされた、少なくひとりの明示的または暗黙的聞き手を表現する
- 物語は少なくとも二つの、必要な物語的結合に結ばれた出来事または行為を表現する。結合の条件については以下の説がある
- 単一の統一された主題に付随する
- 時間的順序がある
- 因果関係にある
- 行為者による問題解決または目的達成の意識的試みを構成する
- 予期と解放といった「感情的リズム」を形成する
- 驚くような普通でないことであるか、語るに値することである
- 意図されたまたは実際の機能または効果に関する条件を与える説
- 物語は娯楽を意図したもの
- 物語は説明役割を果たし、説明は個々の出来事を明示的法則や規則性なしに結びつける
- 物語においては、擬似説明機能によって、表現が非合理的な信念形成のソースらしきものとなる
- 物語は、非物語形式では与えられない人間の経験(アイデンティティや自己性など)の価値ある表現を与える
以下のような記述があった。
個人的特徴や「性格」によって行動に擬似説明を与えることで、物語は「帰属の誤謬」を助長すると考えられてきた。
物語がもたらす認識的悪徳の話はちょっと興味ある。
Gregory Currieの以下の本が参照されていたのでパラパラ見てみた。「性格についての懐疑論」というのがあって、性格などというものはそもそも無いのに、物語は人の性格みたいなものに頼るからあかんやないかという話のようだ。
ちょっとすぐは読めないけどこの本はおもしろそうだな。
Narratives and Narrators: A Philosophy of Stories
あとmatsunagaさんがゲームに関係する「物語」の概念をまとめていた。
http://9bit.99ing.net/Entry/31/