John Kulvicki『イメージ』7章「科学的イメージ」

Images (New Problems of Philosophy)Images (New Problems of Philosophy)

  • 1. 科学的イメージについての諸説
  • 2. 良い構造Ι: 引出し可能性と顕著さ
  • 3. 良い構造II: 図像、イメージ、図
  • 4 構造の保存か、見かけ上の構造の保存か?

少しずつ読んでいるKulvickiの本。この章はなかなかおもしろかったのでまとめておく。データの視覚化といったテーマに描写の哲学(表象の哲学)側から取り組むような内容になっている。


Kulvickiは図像pictureとイメージimageをわけていて、図像は絵と写真のことを指す(このブログでは、日本語に絵と写真の両方を含む日常的な単語がないのでわざわざpictureを「図像」というなじみのない語で訳している)。イメージはもっと広義の概念で、棒グラフ、fMRIイメージ、サーモグラフィなど、より広義の「図」を含む。
本章は科学におけるイメージについて論じている。Kulvickiも最初に書いているが、これは科学哲学の一研究テーマで、従来美学の一部とされてきた描写の哲学とは交流があまりない。いくつかの例外をのぞいて、科学哲学者は美学における描写の哲学の研究を参照しないし、美学者が科学のイメージについて口を出すこともあまりない。
しかし、両者の議論にはちゃんと関係がある。Kulvickiはここで両者の議論を関係づける仕事をしてくれている。また章末の読書案内では、比較的最近の本も紹介されているので、最近は描写の哲学に影響を受けた研究も増えているのかもしれない。


科学におけるイメージについては、イメージが構造を保存するということが注目されてきた。例えば、時系列順に気温を表現した折れ線グラフを考えよう。線の高さは気温の変化に対応する。気温の寒暖という対象領域の構造と、グラフ上の線の高低というイメージ上の構造に対応ができている。
これによって、私たちはイメージ上で、対象領域について推論を行なうことができる。どこが一番高いか、線の高低はどこで変化しているか、線の高さの平均はどれくらいかなどといったイメージについての推論はそのまま対象領域についての推論(いつ最高気温が記録されたのか、変化が激しい時点はいつか、平均気温はどれくらいか)に対応する。科学におけるイメージは、対象領域について考えるための道具だ。
Kulvickiはイメージの表象的要素の中で、容易に知覚できるものを、統語論的に顕著であると呼ぶ。例えば、折れ線グラフの場合、高低の変化は統語論的に顕著である。
統語論的に顕著な特徴が対象領域で目立つ特徴に対応することが望ましい。後者を意味論的に顕著であると呼ぶ。一般に、統語論的に顕著なものと、意味論的に顕著なものが対応していると、イメージは役に立つものになる。例えば折れ線グラフは高低の変化を見やすくするので、時系列で度合いが変化するようなデータの視覚化に用いると便利だ。一方3D円グラフなどは、統語論的に顕著なものと意味論的に顕著なものが対応しておらずダメな例と言えるかもしれない。
こうした説明は、描写の哲学における構造説(統語論的要素と意味論的要素の関係によって様々な表象を分類する説。グッドマン由来)を応用したものである。
また、統語論的要素と意味論的要素の対応はイメージの種類によって様々であり、それぞれ異なる認識論的目的に役立つ。例えば絵や写真は視覚的性質をよく保存するため、視覚的によく調べたいという場合には役立つだろう。グラフのような抽象的イメージは、抽象的である分だけ、特定の要素を目立たせることに向いている。写真の中の温度の高い部分だけ色をつけるといった中間的なイメージが適した目的もあるだろう。


構造説以外の説を使った応用はそれほどないが、Kulvickiは例えばイメージ上で赤い色を見ることが温度を見ることに対応するといった事例に、ウォルトンのごっこ遊び説を適用できるのではないかと言っている。


また、そもそも科学のイメージと対象領域に構造上の類似があるという説は、図像の描写を対象との類似によって説明する伝統的立場に非常によく似ている。従ってここでも描写の哲学における立場の対立とよく似たものが生じうる。Kulvickiは描写の哲学の諸理論は、構造の類似が単に見かけだけのものなのかリアルなものなのかについて対立するだろうと考えているようだ。