Aaron Smuts「ストーリーの同一性とストーリーのタイプ」

ストーリーの同一性について。これ結構おもしろい問題かもしれない。


http://philpapers.org/rec/SMUQIA
Smuts, Aaron (2009). Story Identity and Story Type. Journal of Aesthetics and Art Criticism 67 (1):5-14.

  • 1. 序
  • 2. 基本的なジレンマ
  • 3. 誤ったフィクショナルな指示
  • 4. 高次レベルタイプの本質的属性
  • 5. ストーリーの同一性かストーリーのタイプか
  • 6. 結論

チャトマンなどがいうストーリー/言説の区別はよく受け入れられている。例えば、小説のテキストとそれが表現するストーリーは別だ。私たちは同じストーリーを語る別のテキスト(これ、言説とかテキストとかって、映像でもいいし絵とかでもいいんだけど、いい言葉がないので言説とかテキストと呼ぶ)があることを認めている。他言語への翻訳もあるし、小説から舞台、マンガから映画など、同じストーリーを他のメディアに移植することもできる。また、私たちの多くはシンデレラのストーリーを読んだことがあるが、おそらく同じテキストを読んだわけではない。
しかしストーリーが同じである条件を考え出すととても難しい。
Smutsはここにジレンマを見出している。


ジレンマの第一の角:
ストーリーには何が含まれるのか。描いてある出来事、キャラクター、設定は厳密にすべてストーリーの一部だとしてみよう。そうすると、同じストーリーを語り直すことはほとんど不可能である。
例えば、異なる劇団による異なるハムレットの舞台化では、ハムレットの顔や背の高さがそれぞれ違う。ハムレットの顔や背の高さもストーリーの一部だとすると、少なくともどちらか一方は元の戯曲と同じストーリーを語っているわけではない。原作からのちょっとした乖離も許されないことになる。
それはおかしいので、ストーリーの概念をゆるめる必要がある。
ひとつの選択肢は、テキストが不確定であるか誤っている可能性を認めることだ。ハムレットを演じる役者とハムレットの顔や背の高さは同じではないかもしれない。セリフなども間違っているかもしれない。
(個人的には、役者とキャラクターが同じ顔ではない可能性はあると思うが、Smutsはそれはおかしいと思うらしい)
しかし、フィクションの場合、テキストを妥当に解釈した上で、そこに描かれていることが間違っているなどということがあるだろうか。もちろん信頼できない語り手のように、描いてあることが嘘であるケースはあるが、それは妥当な解釈では嘘だとわかるように描いてある。まっとうに解釈して、それでもなお描いてあることが間違っているなどと考えるのは難しいだろう。


ジレンマの第二の角:
描いてあることベースでストーリーの同一性を考えるのは難しいので、別の方向から考えよう。さっきのがストーリーのトークンの同一性だとすれば、ストーリーのタイプの同一性を考える方がいいかもしれない。
チャトマンは物語の核となる出来事と、枝葉の出来事を区別している。核となる出来事はプロットを進め、読者の疑問に答える。核となる出来事が同じであれば、同じストーリーだと考えられるのではないか?
しかしこの方向にも問題がある。
ストーリーの構成要素は出来事だけではない。例えば、ハムレットの時代や国を変えても同じストーリーだと言えるかもしれないが、セックス・アンド・ザ・シティをニューヨーク以外の場所にすると、もはや同じストーリーではない。肌の色は変えても問題ないこともあるが、オセロの肌の色を変えるわけにはいかない。主人公が太っていることが重要な作品もあるだろう。
何がストーリーの重要な属性であるかを何が決めるのだろうか? ひとつの考え方は、何であれ、目立つものが重要であるというものだ。しかし何が目立つかは、言説が何を強調しているのかという言説の側の属性によって決まる。そうなると、テキストから独立したストーリーなるものがあるのかどうかはあやしくなる。何がストーリーに含まれるかは、テキストが何を強調するかで変わるとすれば、ストーリーを変えずに別のテキストに移植することなどできないのではないか。


また、別の問題もある。ストーリーが重要な出来事だけを含む抽象的なタイプだとしよう。その場合、ストーリーとストーリーのタイプの区別が難しくなる。
「シンデレラストーリー」や「貴種流離譚」のように、ストーリーのお決まりの型というものがある。『メイド・イン・マンハッタン』とディズニーの『シンデレラ』はどちらも「シンデレラストーリー」という型ではあるが、同じストーリーというわけではない。
また、ホラーには共通の同じパターンがあると言われることがあるが、すべてのホラー映画が同じストーリーだとは言わない。
ストーリーの概念を抽象化していくと、ストーリーのタイプとストーリーの区別が難しくなるので、どこかで抽象化を抑えないといけない。
まとめると、ストーリーを抽象的なタイプと考える場合は二つ制約がある。

  • ストーリーに何が含まれるかを、テキストから独立に決める方法を考える。
  • ストーリーのタイプとストーリーを区別しなければならない。


Smutsは最終的な解は与えておらず、この論文は困難をあげて、がんばりましょうという話になっている。


感想:
あまり深く考えてはいないが、ストーリーの同一性って推移律も成り立たないのではないかな。
ラノベからアニメ、アニメからマンガとストーリーを移植していったとき、元のストーリーと同一でありつづける保証はないだろう。そうなると、同じストーリーを移植することなどできない、便宜的に似ているものを「同じ」と言っているだけだという方向になるかな。