この論文で、フランクファートは、そもそも人間が何らかの目的をもつことは何の役に立つのかという問題を扱っている。
On the Usefulness of Final Ends
- 作者: Harry G. Frankfurt
- 出版社/メーカー: Cambridge University Press
- 発売日: 1998/11/28
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おそらく、何の最終目的ももたない生というのは可能だろう。何の目的ももたない人も、意図的行為はできるかもしれない。あるいは、何の目的もなくとも、何らかの価値を認識することさえできるかもしれない(何かに価値を見出してもそれを目指したりしなければ)。
しかし、いかなる目的も目標もない人生は、意味のない人生ということになるだろう。意味ある人生は、自分にとって重要な活動に従事するものでなければならない。一方、何の目的も目標もない人生を送る人は、何も気にかけていないため、その人にとって重要な活動など存在しないからだ。(もちろん本人はそれでかまわないだろうし、フランクファートも、それが「悪い」人生だとは言っていないが。)
また、フランクファートはおもしろいことを言っている。私たちが人生を捧げる目標を選ぶとき、考慮されるのは、目標自体の価値だけではない。目標には、目指しがいのある目標と、目指しがいのない目標があるからだ。例えば、部屋に引きこもって人類救済ボタン(押すと人類が救済されるボタン)を押し続ける生は、価値ある目標に捧げられているが、あまり有意義な生には見えない。少なくとも、人生の目標を選ぶ際に、目標達成プロセスが有意義かどうかを気にしない人はほとんどいないのではないだろうか。
しかし、そう考えるなら、私たちは、手段の内在的価値のために、目標を選択するのだということになる。手段と目的はこの重要な点で逆転している。