読書会合宿企画に参加して読んだ。法哲学の古典。また日常言語学派の代表的な仕事のひとつでもある。
- 作者: H.L.A.ハート,Herbert Lionel Adolphus Hart,長谷部恭男
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2014/12/10
- メディア: 文庫
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ハートはこの本で、おおむね『法とは何か』と表現できる問いに、おおむね『一次ルールと二次ルールを組み合わせたルールである』と表現できるような答えを与えている。一次ルールというのは何らかの義務を課すルールで、二次ルールとは、ルール自体の制定や改訂に関わるルール(変更のルール、認定のルール、裁判のルール)のことだ。この捉え方では、法とは、自らの改訂・運用のためのルールを含む、特殊なルールの集まりであるということになる*1。
ただし、これはあくまで概要であって、ハートがどういう問いに対して、どのような答えを与え、その答えがどのように正当化されたのかということを厳密に説明することはかなり難しい。例えば、ハートによれば、この本の目標は「法law」という語の定義を明らかにすることではない。ハートは、法に対し、狭い意味での定義を与えることは不可能であり、有益でもないという風に考えているらしい。
じゃあ何なのかというと、私はハートのプロジェクトを今のところ以下のように理解している。ハートが目指しているのは、おそらくある種の機能主義的説明に近いものだ。ハートによれば、責務を課すルールとは別に、ルールの改訂や運用のルール(二次ルール)を設けることは、不確定性をへらし、変更を柔軟にし、運用を効率的にする。それは、さまざまな点で便利である。そして私たちが知っている法的秩序の多くの部分は、まさにこの機能を果たしているのだと指摘される。
[二次ルールをもたない]単純な社会構造の主要な三つの欠陥[不確定性、静的であること、非効率であること]への対処法は、責務を定める一次ルールに、異なる類型のルールである二次ルールを補足することである。各欠陥に対する対処の導入は、それぞれ、法前の社会から法的社会への一歩と考えることができる。それぞれの対処は、法に広く行き渡る多くの要素をもたらすことになる。p.159
例えば、裁判のようなルールの運用のための制度、執行や運用のための公務員、立法手続きなどは、二次ルールとともに、その運用のために導入されたものであるとされる。一次ルール+二次ルール説の魅力は、少なくともハートによれば、これら法的秩序の中核部分を説明できることにある。
「機能主義的」という言い方はあまり正確なのかどうか自信がないのだが、ともかく、現在存在する法的秩序のようなものがおよそ存在するかぎり、もたなければならない中心的な要素を取り出すことが目指されていると言ってもよいのかもしれない。
*1:正確には、これだけだと会社の規則なども入ってしまうので、適用範囲の広さなどの条件も含まれるようだ。また、ルールとは何かという話も別途なされているがその辺は割愛。