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Catharine Abell「写真の認識的価値」

http://philpapers.org/rec/ABETEV
The Epistemic Value of Photographs
Catharine Abell
In Catharine Abell & Katerina Bantinaki (eds.), Philosophical Perspectives on Depiction. Oxford University Press (2010)

Philosophical Perspectives on Depiction (Mind Association Occasional)Philosophical Perspectives on Depiction (Mind Association Occasional)


これの3章。この人の論文はいつも形式がしっかりしているし、内容もだいたいおもしろい。

  • 1. 写真対非写真図像
  • 2. EVについての説
  • 3. 既存の説明
    • 3.1 透明なものとしての写真
    • 3.2 必然的に正確なものとしての写真
    • 3.3 空間的に不可知な情報提供者としての写真
  • 4. 非写真図像のEV
  • 5. 写真のEV
  • 結論

絵と写真を比べたとき、私たちが写真に認めている認識価値(Epistemic Value=EV)、つまり証拠になるとか、詳細な情報を得られるとかいったことはどう説明されるべきか。
まず図像の認識的価値について、Abellは、図像の認識的価値を、図像作成のプロセスが信頼できるものであり、図像がリッチである(多くの情報をエンコードする)ことに置いている。
一方、写真の認識的価値を巡る過去の説としてWalton、Hopkins、Cohen/Meskinのものを批判している。Waltonによれば写真は絵と違い、視覚の補助手段であり、写真を通してものを見るということが可能である(いわゆる透明性)。Hopkinsによれば絵と写真は異なった適切性の基準に従い、写真は絵とは違って必然的に正確なものである。またCohen/Meskinによれば、写真は空間的に不可知な情報提供者(どこの場所かはわからないがどこかの場所の情報を伝える)として扱われている。
Abellによれば、こうした説では写真の認識的価値は説明できず、むしろ写真に認識的価値を与えているのは、写真技術の発展と、機能の標準化といった歴史的に偶然的な要因である。また後半では、デジタル写真とレタッチ技術などの発展によって、将来写真は、現在のような認識的価値を持たなくなるかもしれないという議論を行なっている。


Waltonの写真の透明性の議論については、清塚さんが論文を書いているので、そのうちこれも読もう。
http://repo.lib.yamagata-u.ac.jp/bitstream/123456789/2868/1/kiyouh-15-2-03.html