タイトルは「分析哲学」が括弧に入っているのがポイントで、「分析哲学の興隆」ではなく、「語「分析哲学」の興隆」。「分析哲学」という用語の普及の歴史を追った論文。
目次
- 1 序
- 2 動機
- 3 いつ?
- 4 グルーピングに対する当時の正当化
- 4-1 ネーゲルの正当化
- 4-2 第二フェーズ。世紀半ばにおける正当化
- 5 グルーピングに対する抵抗
- 6 「分析哲学」の対義クラス(たち)
- 6-1 「大陸哲学」
- 6-2 初期の対義クラス
- 7 結論
著者はこの研究のモチベーションとして次のような考察をあげる。〔ジョージ・エドワード〕ムーアと、カルナップは、どちらも分析哲学の祖のひとりであり、典型的な分析哲学者とされているが、素朴に考えて、このふたりの哲学が似ているようには見えない。カルナップは数理論理学を大いに使用しているが、ムーアは少しも使用していない。カルナップは、哲学は科学の論理学によって置き換えられるべきだとしているが、ムーアの哲学には科学の論理学らしい部分は少しもない。そうだとすると、いったいなぜこのふたりが「同じグループ」とされているのかは大いに疑問ではないか。
これに対し、「いやいや今の目で見るとそう見えるだけで、同時代にはそうでもなかったのではないか?」と言う人がいるかもしれないが、別に同時代にも、この両者を「同じグループ」と考えることはまったく自明なことではなかった、と著者は指摘する。そうだとすると、この両者を同じグループと見なすようなカテゴリーがいったいなぜ普及していったのかは大きな歴史的謎である。
そこで、とりあえず、同時代の人々がこのグルーピングに対してどのような正当化を与えたのか、およびそれに対し、どんな批判があったのかを見ていこうという趣旨。
読むとわかること
読むとわかること
- 著者によれば、語「分析哲学」が現在の意味で使用されだしたのは1930年代だが、広まったのは1950年前後である。
- 1930年代
- 1930年代は、ケンブリッジ分析学派の人々が自分たちの方法の名称として「分析」を使っていた。ただしケンブリッジ分析学派は「分析哲学」「分析哲学者」という言い方はあまりしない。また、「分析哲学」に、論理実証主義などを含めるような用法も見られない。
- 例外的に今の用法に近いものとして、Ernest Nagelの‘Impressions and Appraisals of Analytic Philosophy in Europe’(1936)という文章がある。これは、アメリカ人のアーネスト・ネーゲルがヨーロッパに留学して、「ヨーロッパの最先端の哲学をアメリカに紹介します!」という趣旨で書かれたもの。ここでは(1)ムーアなどケンブリッジ分析学派、(2)論理実証主義、(3)ウィトゲンシュタイン、(4)ポーランドの論理学者と唯名論者などが、「分析哲学」というラベルでまとめられており、おおむね今の分類に近い。
- 著者がそういう言い方をしているわけではないのだが、素朴に考えると、ネーゲルの文章は「ヨーロッパの哲学をアメリカに紹介する」という趣旨で書かれたものだったので、イギリスの哲学と、ドイツやポーランドの哲学をひっくるめて──それらの違いにはあまり頓着せず──「分析哲学」というラベルをつけたのではないかという感じもする。
- 1950年前後
- 1949年に「分析哲学」を冠した教科書と論文集が出ている。Arthur PapのElements of Analytic Philosophy(1949)、Feigl and SellarsのReadings in Philosophical Analysis(1949)。この辺から、現代の用法とほぼ近いものが定着していく。
- 「分析哲学の特徴は、言語に注目するアプローチだ」と言われはじめたのはこの頃。
- ただし、本当に「分析哲学」というひとつのグループがあるのかどうかはあやしいというのは、これらの本でも指摘されている。ケンブリッジ分析学派など、言語アプローチを明確に否定する人々も存在する。また、ケンブリッジやオックスフォードの人々は論理実証主義とまとめられるのを嫌がっていた。
- 本論と関係ない小ネタだがおもしろかったものとして、「分析哲学」と対比して「大陸哲学」を使うのはもっとずっと新しい用法で定着したのは1970年代らしい*1。